西表島から荒れる海を渡って石垣港に戻ってきた。
今日から泊まる宿は女将さんが町内会の会合に出席する都合で、19時以降の到着にするように言われていた。そのため、港周辺を出発するまでに10時間弱の時間があった。
旅の余韻を噛み締めて、地に足のつかないような氣持ちを地面に下ろしながら港の空氣や景色を一つ一つ手に取るように眺める。基本的にもう乳製品や甘い物は要らないのだが、これも話題にと港の有名なソフトクリームを食べてみたりする。そう言えば、どこかの島から帰った時だったか、港の中の売店で売っている「ハブの油」なる物をを買ってみたり(何度も買いに来る人もいるらしい)、ユーグレナ市場を散策しながら土産物屋を流した。昼食を氣になっていた店で食べ、夕方の閉店まで、わたしの八重山の旅のきっかけになったカフェのご夫婦の所に行こうと思った。運良く神司のおばあちゃんにも会えないかという下心もあった。旅の報告もしたいと思った。
カフェに行き、監督ことご主人に帰ってきた挨拶をした。何だかよそよそしかった。その理由が帰る時に分かった。
ご主人はある部位の癌を患っており、三代治療と言われる病院での治療を受けていた。わたしは親戚が二人癌で亡くなっていることもあり、その様子を近くで見ながら感じることがあったため、胸の内に抱えていた意見を紙に書いて、監督に渡して波照間島へと旅立った。内容は大体、こういうことだった。わたしが読んでとても参考になった末期癌寛解者の事例を集めた本、そして癌が生じると考えられる知り得る情報について。この文面が、監督からすると「あんな言い方になる生意気な文章」だったらしい。
監督は実は霊感があって、石垣島に移住してカフェを開く前は会社員をしていた。仕事はかなり頑張っていたらしい。熱心な仕事ぶりから、有名な社長さんにお目通り頂く機会があったり、色々と業績を評価されてきたと言う。でも、そこで自分に霊感があることや特殊な性質があることは言わず、使わず、世間と自分の特殊能力とは使い分けて社会との折合いをつけながら生きてきた。だから、わたしにも自分の本音と社会に対しての言動の使い分けをしなければならないとご指導を受けた。
実は、流行病に対してわたしは世間とは異なる独自の見解も持っていたので、これまでの監督の話は一々小さく癪に触った。だから癌になるんじゃないかなあ。そんな思いがあった。根本から病を克服してもらいたくて、思いやりで言ったつもりだった。それも相当面白くなかったのだ、と今は思う。
監督のお叱りとしては、常識がない、普通の人達とのお付合いを7割にして苦手なところを頑張ること、社会との釣合いが図れていない危ない子になりかけていると言うことで、閉店間際から小一時間程これらの言葉を聞いた。
氣分は最悪だった。
わたしは見知らぬ旅先で自分と同じ感情を持った大人と出会い、自分の言い分を聞いてくれるだろうと思って期待していた。また、世間とずれた価値観を持つわたしを共有してもらえる場所だと思っていた。それだけに、この最後のお説教は想定外だった。一氣に重くなった心を引きずりながら、暗くなったバス停から北方面のバスに乗った。この時間では空港から北へのバスは便数が減っていたので、空港から宿まではタクシーに乗った。小雨が降っていた。
宿は空港から更に北に行った小さな集落にあった。暗い夜道を歩いていくと、近所の初老の男性なのかが酔っぱらって街灯の下で豪快な音を立てながら立ちションをしている。「お、お」と、通りすがりのわたしに見られちゃまずいが見られているかもしれない興奮なのかで顔に喜色を浮かべている。最悪だ。旅の初めに監督から身を守れとも言われたし、一切関わりたくないと思い顔を逸らす。どこかで飲み会か何かを開いているのか、一角がひどく賑わっている。地図を見ると、どうやらそこが今晩泊まる宿のようだった。入口がよく分からず周囲の道を回りながら、車でぎゅうぎゅう詰めの敷地に入ると、騒いでいる中の一人の若い男性がわたしの荷物を中に運んでくれた。宿はよく知らない人達の盛場と化していて、甲高い女性の「飲んで飲んで」と言う掛け声が響く。誰が女将さんなのか宿の社員なのかも分からないまま、誰からともなく部屋を案内された。カフェの監督に引続き、こんなに騒々しい飲み会をする宿の人とは毛色が違うのできっとわたしは馴染めないだろうと言う予感が漂う最悪の氣分で、その日は部屋に籠ったまま寝入った。
翌朝、早くに目が覚めてしまい、眠い体を引き摺りながら居間に出向くと、女将さんが酒盛り明けの氣怠い表情で起き出してきた。銀さんから何の紹介もしてもらっていないだろう状況に加え、わたしからの宿泊予約も直前のことだったので、サバイバルキャンプに参加した経緯や、簡単な身の上の経過と自己紹介をした。直接の関わりはないが、わたしの前職とも通じる経過のある方だった。
「今日ねえ、この方が来るの」と一冊の本を渡された。見たことのない表紙と内容の本だった。ふうん。一旦部屋に戻ると、その方々と思われる数名が到着したようで、静かに淡々と作業が始まるようだった。人と騒音でごった返していた宿の居間は、昨日の雰囲氣とは全く違った落着いた空氣になっている。今日は、みんなで関係者を回ると言う。氣を回してくれた女将さんに、一緒にくる?と聞かれたが、全く知らない人に全く知らない分野の中に混ざっても、氣を遣って疲れるだけ、相手だって突然見知らぬわたしが加わったらそう思うだろう、そう思いお断りした。それに、昨日の監督のお叱りが心に重くのしかかっていて、とても遊びに行く氣分じゃなかった。
宿で一人、女将さんに渡された本を読んだり、監督からのお説教を整理したりしていると、宿の猫がわたしに近づいてきた。そして足の上でくつろぎ始める。落込んだ氣分の時にありがたいような、自己肯定感が地に堕ちている今、こんなわたしに懐いてもらって申し訳ないような氣持ちになった。そこへ一行が戻ってきた。お母さんにこんな誰かに懐いている姿は見せられないわ、そんな雰囲氣で猫はそそくさと女将さんを出迎える。そして、一人の男性から声をかけられた。
「何をやっているんですか。」
女将さんに借りた本を読んでいることを説明し、二言三言話をした。そして、女将さんが来てこう言った。
「その本で書かれている人がこの方だよ。」
それがわたしとその老人との出会いだった。
本の紹介(宣伝です)

本文中で紹介した癌の寛解者の体験を分析した本が面白かったので、紹介しますね。
本の題名は『がんが自然に治る生き方』ー余命宣告から「劇的な寛解」に至った人達が実践している9つのことー という副題付きです。
癌って、医学的には「完治しない病氣」なんですね。癌が消えた状態になるのを「完治」とは言わず、「寛解」と言うそうなんです。これだけで、癌は「治らないものなんだ」と言う印象を強く持ってしまいそうですが、実は癌細胞が消失した事例はたくさんあるそうなんですね。
え、そうなの?たまたまじゃないの?
咄嗟にそう感じてしまう氣持ちはよく分かる。
著者は、じゃあどうやったら治ったのよ、という点に注目して、ステージ4から劇的な寛解を遂げた事例を分析し、彼らが共通して実践している9つの項目をまとめました。
日本人の事例もあるよ☆
物理的側面からだけではなく、精神的な側面にも光が当てられていて、スピリチュアルなんじゃ…と思われる事例も多数登場するんですけど、そこから東洋医学に繋がったり、著者による医学的な説明が加えられていて、理論的にも裏付けがなされています。やはり「病は氣から」との言葉は間違っていないんだなと納得すると同時に、癌になっても大丈夫かもしれないという希望を感じてくるんです。
現代は3人に2人が癌になり、2人に1人が亡くなる時代と言われますが(確かそうだよね?)、そういう認識に光を投げかけてくれる本だと思います。
人類が100メートル走で10秒の壁を切った時のように、癌だって治せるんだというわたし達の意識の枠組みを突破できたら、人類史に残る快挙になると思うんです。こんなに嬉しくて誇らしいことはないんじゃないでしょうか。
そのために、そんな認識を持つ人が一人でも増えたらいいなと思って、この本を紹介します。
わたしの亡くなった従兄の冥福を祈って。
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