波照間島で①『天国の海』

 石垣島から八重山諸島への定期航路は、八重山観光フェリーと安栄観光の二社が就航している。波照間島へ行く時にどちらの船会社で行くのか迷った氣がするが、今調べてみると八重山観光フェリーには波照間島への定期航路が運行されていないため、迷ったのは記憶違いでわたしはたまたま安栄観光の波照間島行きの船に乗ったということになる。でも二社共に波照間島までの船があった氣がするんだけどなあ。何せ一年半も前の旅の出来事なので、当時の細かい記憶は曖昧になっている。現在の波照間島への片道航路は4,530円だ。往復8,750円を当時も高いと思ったに違いない。けれども、そんなことは忘れている。それよりも記憶に残る大事なことが沢山あった。

 石垣島から波照間島までの天氣は晴れ、海も荒れておらず船は順調に運行していた。確か、往復分の乗船券を買った氣がする。これが後に他の島でとても重要な意味を持つことになるとは、この時は全く知らない。波照間島までの所要時間は一時間から一時間半だ。船もそこまで揺れない。初めての船旅に波の上を走りながら、島への到着を待つ。

 速度を落とした船窓から「最南端の島『波照間島』へようこそ」港の堤防に書かれた文字が出迎える。いよいよだ。船を降りたら、宿の人が迎えに来てくれていた。今日から宿泊する人は、わたし以外には一人旅の男性のみである。宿までの道すがらに宿のご主人が島の施設などを紹介してくれた。初めての訪問だと広く感じるが、人が住んでいる場所は固まっており、慣れるとこじんまりとした集落だそうだ。

 宿に着いて荷物を置くとすぐに着替えて電動自転車を借り、ニシ浜に向かった。波照間島の唯一ではないが見どころの一つ、ハテルマブルーの海が見られる場所である。ニシとは、八重山地方の方言で北を指す。このニシ浜は島の北側にある。土地勘の全くない初めての離島を電動自転車で走る。若い男女などの旅行者とすれ違い、結構観光客が多いんだなと思う。今は電子端末の地図があるから、わたしのような方向音痴氣味の人間でも知らない土地を一人で回ることができる。そうして集落を抜けていくつかの道を下り、浜に出る道に少し迷ったが、高台から眼下にハテルマブルーの海が見えてきた。

 何て綺麗なんだろう。

 こんなに青くて澄んだ海は見たことがない。

 初めてニシ浜を見た時に、これ以外が思い浮かばなかった。整備されて緩やかに曲がりながら下る道を、海を見ながらゆっくりと下りる。何て綺麗なんだろう。何て青いんだろう。そればっかりを考えている。自転車を停めて、石垣島の砂浜でもよく見た緑色の蔓性の草が縁取る白い砂の道を海まで下りて行く。

 強い日差し、青い海、白い雲、天国のように何層もの青で染まる海。人生で初めてこんな所に来た。

 海岸は海水浴客で賑わっていた。海の家などはなく、ただただ浜辺から海に入る。この旅行に来る時に大枚を叩いて買ったラッシュガード(長袖、長い丈のピタッとした日焼け防止用の海水浴用の服)以外に泳ぐための道具は持ってきていないから、水の中は覗くことができないが、浅瀬でも魚が泳いでいるのは見える。

 波に脚をつけるだけなのに、海の透明度に感嘆するのだ。柔らかくてきらきらと光がゆらめく透明なガラスを見ているような、そんな所に自分の足が浸っているような光景と自分の心が重なっていくような感じがする。足元の波は透明なのに、少し沖に視線を動かすだけで海の色は淡い浅葱色に変わっていく。本当に不思議な場所だ。

 海に見惚れながら潜って目を開けてみたりを何回か試みたが、視力が悪いから大して魚を見ることもできず、陸に置いてきた財布も心配なので、浜辺に上がって昼寝をした。貴重品の管理方法すら知らない。浜辺にはわたしの他にも一人で旅行に来ていると見える女性が何人かいて、ラッシュガードまでお揃いのシュノーケリングセットを借りて一人で海に入っていた。海中の魚を見ているようだった。彼女達が海から上がって浜辺の丘の方に戻ってくる度に、わたしのそばを通り過ぎながらチラチラとこちらに視線を向けて行く。女が一人で浜辺に寝転がっているんだもん、氣になるよね。寝たふりをして知らぬ顔を決め込みつつ、特にやることもないからそのまま寝そべった。

 一人、また一人と海から丘に上がってゆく。そのうち、浜辺にはわたし一人になった。亜熱帯の太陽が燦々と輝き、空と雲の輪郭が濃い。南国の島の浜辺で何者でもないわたしが一人寝そべっている。そうしてうとうととしていると、丘の上にある展望台から三線の音が聞こえてきた。この時のわたしの氣持ちを想像してもらえるだろうか。

 沖縄本島よりも遠く離れた有人島最南端の島。その島に照りつける太陽と真っ青な空と何色もの青味が層を成して彩る海。そしてそこに最高の頃合いで流れる三線の調べ。わたしにはお金もないし、未だ仕事もしていない。格安の航空券と交通手段と宿を伝ってここまで来た。けれども、来られる。来られるんだ。そして南国の象徴のようなこの瞬間を味わっている。勤めている時には時間にも心にも体力的にも余裕がなくて、頭の中は常に仕事のことでいっぱいだった。今は何者でもないけれど、行こうと思ったらどこにでも行ける自由がある。そうしてこの島に来られた。当時、この自由をどれほど求め夢見ていたことか。わたしは、自由になれたんだ。

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