『名物書店員の選書2』

うさこの本棚

はじめに

前回の記事、『名物書店員の選書』はこちらから。

『名物書店員の選書2』

 さてさて、『奈良大阪編』で長らく間が空いた『名物書店員編』第2回、2回で終わりなんですが、をようやくお届けしようと思います。

 わたしが住んでいる町は東北の田舎町で、特にわたしの実家がある所は西側に田んぼが広がる田園地帯なんだけれども、そんな場所にも子供の頃も現在も変わらずに結構な音を響かせたバイクが昼夜問わずに走っている。今も、ブンブンブン、ブブン、ブブンブンと、首を縦に振りながらヒップホップ系の拍子を刻んでしまいそうなエンジン音を鳴らして走っていく音が聞こえて、思わずその拍で乗ってしまい、そんな自分に笑ったところである。わたし、今思い出したようにK-POPにハマっておりまして、みなさん踊りが上手なので、それに感化されて自分も踊れる人になったような氣分になってしまい、つい乗ってしまった訳です。

 こんな雑談を挟みたくなったのは、名物書店員のおじさんに薦められた選書(2)でご紹介する津村記久子著『やりなおし世界文学』(新潮文庫)を読んだからだ。

 わたしはロシア語通訳者だった米原万里さんが大好きで、未だに読了していない彼女の『打ちのめされるようなすごい本』が、これから自分で読みたい本の地図になっている。文章一つひとつが面白い。書評と言ったらこの本だとおじさんに伝えたところ、前述の本を持ってこられた。

 この本は、表題の通りに海外の世界文学を著者が読んで、その感想をまとめた本となっており、おじさんは本書で紹介されている、確か『たんぽぽのお酒』(レイ・ブラッドベリ著)という小説をこよなく愛し、その読後感を「まさに、よくぞ言ってくれた」と的を射る解説をしてくれた著者に感銘を受けたと言う。色々な本の熱弁を振るわれる中で、突然『たんぽぽ~』と言う聞きなれない単語が現れて、たんぽぽ、って何の話かなと、頭の中にはてな記号だけが浮かんで目が点になっているわたしが、その記憶だけを頼りに手繰り寄せた小説名だから、恐らく間違いはないと思う。レイ・ブラッドベリと言う名前は聞いたことがある氣がするほど、有名な方だと思う。

 津村記久子さんの文章によると、何だか重そうな話なんだけど。おじさんって、次の本でも思うんだけど、暗い話が好きな傾向があるんじゃないかなあ。でもちゃんと作品を読んだら、わたしもやっぱり「津村さん、よくぞ言ってくれた」って思うのかな。

 わたしは日本文学というか、平安時代の古典にまつわる話だけが好きで、世界文学にはあまり馴染みがないのある。だから、本書を手に取らなければ関心を持つことがなかったであろう作品が多々あった。何せ、92冊の世界文学を著者が読んで、その本について大体4頁くらいでみっしり文章を綴って解説してくださっているから、この一冊からいくつか紹介されている本を読めば、世界文学をちょっと知ったぐらいの位置付けの自分にはなれるんじゃないだろうか。

 そして、話を冒頭の雑談に戻すと、津村さんの文体が心の中の声をむき出しにした、どこかの喫茶店で読後の感想を読書好きの友達と雑多に喋っている風なので、文章って色んなことを書いていいんだなと影響を受けたので、試みたくなったのである。

 ちなみに、「水の惑星」読者の皆さんは、本を読む時に後ろの方に載っている「解説」って読まれますか。うさこは隠れた「解説」好きでして、涎を垂らしながら「この本の解説はどなたが書いているのかな」って、読んでいる途中でも頁をめくっていたりする。今回は辻山良雄さんという方だったが、この方の解説も面白くて、にやにやして読んでしまった。探してみたら、本書に関する彼の書評が公式サイトにあるのを見つけたので、最後に添付しておく。

 おじさんお薦めのもう一冊が、二階堂奥歯著『八本脚の蝶』(河出文庫)である。

 早稲田大学に入る人というのは、こういう風に頭がいいんだろうなあ。電子空間上に残された彼女の日記部分を読んでいて、そう思う。

 簡単に結末を知っているだけに、最初に冒頭部分の日記を軽く読み、奥歯さんがどんな人なのかを触りだけ知って、日記の終わりに移った。

 お、重い、重すぎるよ。

 おじさん、おじさんが背負っているこの世界は、少しばかり重たくないですか。そう思って、しばらく触れられずに置いていた。

 そして今回の記事を書くに当たり、改めて手に取った。

 この本は、生きる悲しみに出会う本だ。

 彼女と生前親交があった方々の彼女を偲ぶ寄稿を読んでいても、彼女が世界に対して投げかけていた多くの問いも、目線を移す度に全てが悲しい色をしている。切なく、ひりひりと胸が痛む。

 彼女という作品は、彼女の死をもって完成するところがあって、そんなものは誰も望んでいないのに、それが最後の部品の一片だったと妙に説得力をもって迫ってくることに悲痛な悲しみを覚えずにはいられない。

 いくら知性が高いと言っても、一人の若い女性編集者の記録がこんなに分厚い文庫本になって出版されていることの意味を、選書を受けた時は測りかねていた。けれども、彼女の訃報に寄せられた著名な方々の文章を読むにつれて、25年という短い生涯において、彼女が彼らの心に残した爪痕がいかに大きかったのかが文庫本の重みと厚みから伝わってきた。

 何でも、彼女が自らこの世を去る前に、最後に電話をかけてお別れの言葉を伝えてきたのがおじさんだったそうで、わたしには割ともう明るく乾いた調子でその話をしていたんだけれども、本の中には奥歯さんを必死でこの世に繋ぎ止めようと格闘するおじさんの文章が綴られていて、当時のおじさんの氣持ちを思うとお疲れ様でしたと言ってあげたくなった。

 亡くなってしまう人というのは、こちらがどんなに生きていてほしいと願っていても、彼岸に渡って行ってしまうものだ。

 本というのは、自分が人生で知り得なかった感情を教えてくれる。

 こんなに細く、小さく、胸の内側に切り込んでくる悲しみというものを、わたしは初めて知った。人が亡くなる悲しみも一つじゃないのだな。

 加えて、彼女の聡明で才氣溢れる思索と文章と、そして生前の彼女を知る文学と出版に携わる方々の名文を読みながら、わたしは少なからぬ影響を受けた。

 「あのですね、本当に良い本というのは自分を内側から変えてくれる力を持っています。そういう本とはできるだけ早く出会った方がいい。なぜなら、その本を読んだら自分が変わり、見える世界、触れる物、全てが変わっていくからです。ですから、その本を読んでからの時間ができるだけ長い方がいい訳です。」

 奥歯さんの人生が最初は重いだけだったが、おじさんの選書は間違っていなかった。

【参考情報】

おじさんのブログ:雪雪『醒めてみれば空耳』

醒めてみれば空耳(2006-09-11)

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