はじめに
前回の記事はこちら。
わたしが10歳若く見られる食事の仕方について書き綴ってきた最終回の今日は、食事に対する価値観について書きたい。
かなり若い頃から今回紹介した食事法の元になる食べ方をしてきて、それなりに葛藤だったり息苦しさを覚える時があった。そんな過去の体験から食事に対する姿勢を自分自身として定めていく中で、わたしなりに出した答えや引受けたことをまとめられたらいいなと思います。
- お米は分付き米
- 無農薬、無肥料または植物性肥料のみの野菜を食べる
- 添加物を摂取しない
- 非遺伝子組換え食品を選ぶ
- 基本的な調味料を伝統的製法の物にする
- ゆるく四毒抜きを意識する
- 発酵食品を使う
- ミネラルを摂る
- 菌ちゃんげんきっこを食べる
『10歳若返るうさこの食事6』
わたしが自分の食事の仕方を作っていく中で、大切にしていこうと思った価値観がある。それが以下の4つだ。
- 義務にしないこと
- 善悪の価値観を持ち込まないこと
- 料理の美味しさを味わい、食事を楽しむこと
- 世間からは浮く
一つずつ見ていきます。
1 義務にしないこと
この栽培方法が体にいいから食べなきゃいけない。この食材は栄養素や陰陽的に摂らない方がいい。
そんな風に頭でがちがちに考えて、食事を義務にしないこと。
一時期、2と併せて食材を買うのも疲れていた時があった。ものすごく縛られていると思った。
とにかく頭で考えることはやめて、自分の味覚と体を信じて、自分の体が細胞から美味しいと感じているか、喜んでいるかを体感でつぶさに見ていくことを大切にしようと思った。
『古武術ってすごい』でも書いたけれども、体は脳みそ以上にわたし達にとって必要なことを知っている。義務にせずとも、体は、自分は知っているから、今はそこに委ねている。
2 善悪の価値観を持ち込まないこと
体にいい食事をすることが正しくて、添加物とか農薬とかを使った食品は地球環境にも体にもよくないから悪いことだとする価値観をなるべく手放すこと。
元々わたしがこういう食事を摂るようになった背景には、自分の健康のためであること以外に、「ただしことをしているという正義感」があった。
だから友達を正そうとしたし、わたしの食の価値観とは違う一般的な食品を買っている人達に内心嫌悪感を抱いていたこともあった。自分の正しさを使って、周りに攻撃の刃を向けていた。
それは健康な食事としては正しいのかもしれないけど、人間性においては周囲にとげを撒いているだけで、周りの人のためになっていないことに段々と氣付いた。
3 料理の美味しさを味わい、食事を楽しむこと
でもわたしは、自分の家庭菜園の経験と菌ちゃん農法をはじめとする栽培方法の様々な勉強を通して、ちゃんと地球の循環の中で育った生命力の強いお野菜を愛しているのだ。
この世界は本当に素晴らしくて、全ての命が織り成し合ってわたし達の食べ物を育んでくれている。太陽と土と雨と風が、全ての虫達と動物と微生物が、野菜を育ててくれる。わたしはその光景を自分の畑で見た。
その大いなる循環の中で育ったお野菜は本当に美味しくて、それを食べるわたしもその環の一部なんだと感じさせてくれた。
地球が与えてくれた天然の食材は、素朴な調理法でも料理を美味しくするし、その食卓を人と囲める幸せは人生に満足感を与えてくれる。ご飯が美味しいと、それだけで生きていて幸せだと感じられる。食は人生の楽しみそのものだ。
4 世間からは浮く
わたしの食事の摂り方は、普通の価値観の方からするとかなり「こだわっている」ように映ると思う。でも、それは戦後すぐぐらいまでの日本では特別なことではなかったはずだ。それがいつから、入手できるお店が一般的ではなくなってしまったんだろう。
わたしが現代の日本社会において、特殊な食生活をしていることは認識している。
それは分かった上で、なおこう思っている。どうして健康も若々しさも保てない食習慣と食への価値観を「当たり前」のものとして持ち続けるんだろうって。
人間が一度信じた価値観を変えることは簡単ではないことは分かっている。だから、わたしの価値観が多くの人達に受け入れられなくても構わない。
でも、周囲から浮くことによる損失と、健康で美味しく地球の循環の一部でいられる食事の幸せと、どっちかしか選べないとしたら、わたしは後者を選ぼうって決めたのだ。
まとめ

今回の記事がなかなか書けなくて、わたしの中に食事に対する「善悪」の観念が沢山あったことにまた氣付かされた。「正しさ」ではなく、わたしの「想い」を表現できるか。それがこの章をまとめるにあたってのわたしの課題だったようです。
わたしが大切にしている価値観を愛をもって語れるかどうか。その山を越えられているといいんだけど。





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