はじめに
前回の記事はこちら。
銀さんのサバイバルキャンプはこちら。
八重山諸島の旅は、カテゴリーの「旅」から。
『御神島』
レイラインと呼ばれる直線がある。古い直線路とも訳すようだ。聖地を結ぶと地図上に直線的に並ぶというもので、世界各地でも、ここ日本でもそういった現象が見られる。その一つが、わたしが偶然知った丹生川上神社下社から福井県若狭湾に浮かぶ御神島まで、北に向かって伸びる一筋の直線である。藤原京、平城京、平安京、鞍馬神社、貴船神社、御神島までを、多少のずれを含みながら一直線に貫く。
京都滋賀奈良の旅の最後に知った丹生川上神社下社。その拝殿から本殿へと伸びる階段がその方角を指し示している。物を言わぬ階段が、歴史の何かを含み物語っているようである。
そのお神島までの聖地を結ぶ直線を辿ってみようではないかという旅行の企画が、初めて開催されるという話を聞いた。7月8月と京都滋賀奈良の旅をして、9月に催されるらしい。ツクブスマ姉が神社側とのやりとりで掴んだ日程によると、ちょうどわたしが銀さんのサバイバルキャンプに行く日程に抱き合わせることができる日取りだった。わたしの申込みはぎりぎりだったが、神社側との調整の末に、無事企画旅行に参加できることとなった。解散場所の京都駅から関西国際空港に向かえばいい。そこからわたしは、石垣島へと飛ぶ。
今回は、残念なことにツクブスマ妹が諸事情により不参加となったけれども、ツクブスマ姉と共に明日香村周辺を探検し、翌日は御神島までの神社企画旅行に参加することとなった。
明日香村は自転車で回ることもできるらしい。駅の観光案内所で周辺の遺跡群の位置関係や回りやすい経路を聞き、ツクブスマ姉と自転車を借りて高松塚古墳に向かう。今回はなぜか高松塚古墳が氣になっていた。
高松塚古墳は昭和47年(1972年)に発見され、それ以前は古墳の上に木が生い茂る小高い丘のような状態だったらしい。高松塚壁画館は石室内を思わせる古い作りで、昭和の時代を感じさせた。ここから大陸を思わせる壁画が現れた瞬間は、本当に感動しただろう。
次はキトラ古墳に向かう。キトラ古墳のことはよく知らなかったが、「四神の館」という体験館があり、そこの展示が新しく石室の原寸大の復元模型や、壁画に描かれた星座や四神の展示があり、当時の宇宙観を垣間見られてかなり楽しめた。石室はそのまま宇宙と繋がっていたに違いないと思えた。さらにこの地には大陸や朝鮮半島からと思われる渡来人も多数暮らしていたようで、奈良市からさらに外れた山に近いこの明日香の地に隠れるように住んでいたのだろうかと、白村江の戦いとの関連を思わずにはいられなかった。空は途中から雲を集め、雨を降らし始めた。わたし達は高校生のように雨に濡れながら自転車を漕いだ。大人の青春みたいだった。
夜は、わたしに丹生の下社のことを教えてくれた女性とわたし達の3人で食事をした。店に入ってから雨は大降りとなり、他に入ってくる客はいない。
「私がくるといっつも雨なのよね。私、雨女なんですよ。」
彼女はそう言った。すると、ツクブスマ姉は父親譲りの晴れ女だという。丹生川上神社は三社全体で水の神様を祀っていて、下社は闇龗神(クラオカミノカミ)が御祭神らしい。彼女達が言うには、闇龗神が雨を降らす神で、それと対で呼ばれる高龗神(タカオカミノカミ)は雨を晴らす神なのだとか。ということは、ここにはクラオカミの女神とタカオカミの女神がいる宴席に、私が同席していることになる。宴が終わって店を出る頃にはあんなにざあざあと降っていた雨が上がり、明日の聖地巡礼の旅の禊が終わったことを示していた。
奈良県の橿原神宮前駅に集合したわたし達は、小型のバスに乗って奈良市内を北上し始めた。道路が混雑していたが、平城京跡などの史跡を回ることができた。しばらく走り、山奥で神仏習合を色濃く残し、東大寺に香水を送る「お水送り」を続ける若狭神宮寺に立ち寄り、ご住職の講和を聞いた。神仏習合という観念は、何だか初めての価値観と内容で理解が及ばなかったのだが、とても意味深く大切な話を聞いた氣がする。少なくとも、明治の神仏分離令と廃仏毀釈より以前は、日本人は今とは全く違った神仏観を持って生きていただろうことは察せられた。明治時代の始まりは、日本人の価値観を大きく変えた節目だったのだと思う。
そしてバスは、海辺に出た。福井の海を見るのは初めてだった。洋上の御神島は、神社に描かれた絵と同じ形をしていた。奈良からはるばる福井まで来た。
道行く先々での同行者の動きから、大体どんな性格の人なのかが見えてくる。帰りのバスでは、宮司さんが氣を遣って話を切り上げ、後は眠れるようにと言ったそばからそれぞれのスピリチュアル体験話などに花が咲き、車内は沸いた。
「俺、体の中心にほくろが点々とあって、一つが、ここみんな女性だけど大人だから大丈夫だよね、一つがあそこの竿の裏にあんねん」
「…レイライン、レイラインですねっ」
ぎゃはははと盛り上がるわたし達を見て、宮司さんが
「もう、みんな全然寝ないね」
とぐったりしていた。
そんな中、バスは京都駅に着いた。
「うさこさん、これから地元に帰るん?」
「いえ、石垣島に行きます」
体内レイラインの男性にそう言ったら、絶句された後に爆笑された。
「え、方向が一緒でしょ」
「いやいやいやいや。そら西か東かで言うたらそうやけど、全然ちゃうやん」
だそうだ。そうかなあ。
「石垣島に行って何すんのん」
「サバイバルキャンプをしてきます。一人で。」
「…誰か、この子のこと止めたってえ」
彼は、何か得体の知れない物を見る目をしていた。
いや、うさちゃんは行ったらええ。ノリのいい関西組のお姉様方に応援に熱く背中を押してもらい、握手を交わしてみんなと別れた。
この界隈の人達は同じ仲間だよねって思った所で、異物を見る目で見られるのって結構傷つくんですけどって、本当に楽しかった。
そしてわたしは、関西国際空港近くの宿に向かった。
ここから、銀さんのサバイバルキャンプの後にあの八重山諸島の旅が始まるとは、この時は知る由もない。




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