「今」にあること。
そのためには、自分を信じられることが必要だ。
自分を信じられるようになるためには、自分を肯定的に見てくれる友達を周りに置くことだ。
この頃、本当にそう思う。
自分を肯定してくれる人とだけつきあう
自分を肯定してくれる友達だけとつきあうなんて、そんな都合のいいことをしていいの?
それだと、反対に自分の人格形成に悪影響があるんじゃないの?
自分を肯定してくれる人とだけ付き合うことは、自分の道を確立している人や自己啓発本などでよく言われる。
うさこもちょっと前までは、懐疑的な見方をしていたし、もっと本音を言えば、それを実行する勇気がなかった。
そんなことをしたら、つきあう人がいなくなっちゃうんじゃないの?
気の合わない人とも仲良くやれることが、社会的にも認められる人になるためには必要なことだ。
長い間、そう思わされて生きてきたから。
でも、自分のことを全肯定してくれる人の存在は、本当にいい効果しかない。
自分の行動について、あれこれ意見をしたり、良し悪しを助言する人は、ありがたいようで実は弊害の方が大きい。
そこに根底での肯定感や自分に対する敬意がない助言は、否定的な印象を自分に受けつけることに繋がる。
実は、これが精神的には結構な損失なのだ。
反対に、肯定的な言葉や気持ちを向けてくれる友人や仲間からもらえる恩恵は計り知れない物がある。
「自分を信じて」
最近知り合った人に、うさこを全面的に肯定してくれる年上の女性ヒロミさんがいる。
うさこが実は自分に自信が持てないことをこぼしたら、
「うさこちゃんにはいいところがたくさんあるよ。自分を信じて。」
そう言ってくれた。
この人は、うさこに対して事ある毎にそう言ってくれる。
自分を信じて。
人から言ってもらえる機会が、あるようでない言葉ですよね。
うさこが他の人とのやりとりで、納得できないことを言われて憤りが収まらなかった時も、
「自分を信じて。」
って言ってくれた。
この場面で?ってすごく意外な気持ちがした。
でも、こういってもらえたことで、わたしのこの憤りは正当だと感じていいんだな、自分の気持ちに正直に我慢しなくていいんだな。
うさこはうさこでいいのか。
そう思えた。
今まではこういう気持ちに一人で立ち向かっていかなければならなかったので、何かと気を張ったなあと思う。
うさこは蠍座だから、一度照準を合わせたらそこを焦がす勢いで意識を注いでしまう傾向がある。
つまり、思い詰めるのも超一級なのである(笑)。
地の底まで追っていく覚悟だ。
え、そんな覚悟はいらないって?
一度電源が入ってしまうと、それだけ執念に近い感情が沸き立ってきてしまう。
かつて公務員だった時には、パワハラに遭い本当に強い憤りを感じて、周りを焼き尽くすつもりで闘ってしまったこともあった。
あの時は本当に自分も周りも大変だったと思う。
そんなうさこの激しい憤りが、この一言でしゅうううっと消火した。
そうか、わたしは自分を信じられればよかったんだね。
「嬉しい」の伝播
ヒロミさんは、最近の不安定な社会情勢で意識ががらっと変わり、びっくりするような新しい展開が毎日起きているそうだ。
だから、その変化が嬉しくて、いつも
「嬉しいいい」
って言っている。
うさこも釣られて、小さな幸せでも「嬉しいいいい」って、きらっきらのハートマークを何個もつける勢いで言うようになった。
ヒロミさんから嬉しさが伝播してくる。
そうしたら本当に、自分の内側に、そして自分の「今」に目を向けられるようになってきた。
わたしは、自分を肯定する言葉が欲しかったんだね。
それから、他の友達との関係がすごく温かくなった。そして話せる内容も深くなった。
なんて心地いいんだろう。
そんな幸福感を味わっていたら、Twitterでよく参考にしている人から直接連絡が来た。
出版社の編集者でありながら、使命感を背負って、これからの人類の行く先に向けて立ち向かっている人だ。
うさこは芸能人とか有名人に会ってもあまり心が揺さぶられることがないんだけれど、この人からの連絡はすごく嬉しくて、同志からの連絡のようで涙が出た。
こんなに嬉しいことって起こるのね。
そう思った。
人生をそこはかとない喜びで満たすために
世界はとても豊かなんだ。
そして、それは本当にありがたいことなのだ。
今までの人生で、こんな風に感じたことはなかったなと思う。
人生をそこはかとない喜びで満たすためには
- 自分を信じて、自分の感情を肯定すること
- 自分を全面的に肯定してくれる人とだけ付き合うこと
- ありのままの自分で体験した小さな喜びを心の底から味わい、喜ぶこと
- 自分を大切にすること
それが、「今」にいる意識を育てる。
人生で起こる全てに感謝の気持ちを感じさせてくれるようになる。
感謝は日々に輝きと深みを増してくれる魔法のようなものだ。
うさこは大学を卒業する時に進路に迷って、2年ほどニート生活をした。
その時は何人もの大人に叱られたし、周りとの関係性からすると厳しさもあり、毎日が不安定だった。
でも、社会の基準よりも自分の意思に従った時に、急に目に映る景色がきらきらと光に溢れ出した。
カメラで言うと、露出を高くして光を多く取り込む感じに似ている。
自分の真ん中に沿うほどに、その光は眩さを増していく。
今は、ニートの時以上に周りの景色がきらきらと光を放っているように見える。嬉しい気持ちが重なれば、なおさらだ。
そんなことを感じていたこの日はちょうど中秋の明月で、月が濃紺の空に明るく輝いていた。
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