共感覚のあったうさこ
最近、共感覚者の本を借りて読んでいた。
世界を認知する時に、文字に色がついていたり音に色がついていたり、味に形がついていたりして、そういう視点で世界を捉えている。
「〜色の名前の先生」「〜色の名前の駅」「この数字は恥ずかしがり屋で…」そんな表現をする。
面白いよね!
うさこも強くはないけれど、小さい頃は数字に色がついていた。
でも、小さいながらに「これは余り人には言えない(理解してもらえない)ことだな…」と察して、親にも友達にも話したことはなかった。
前の仕事が子どもの福祉系の仕事だったのと、自閉症のお子さんは数字が好きだったりするので、多少話題が近いかなと思って、当時の先輩や同期にちらっと話してみたが、やっぱり「こいつ、発達障害系なのか?」という雰囲気が底辺に漂っていたので、人に話したのはそれっきりだった。
この水の星は、生きにくいぜ。
共感覚とは
まず共感覚とは、
「一つの刺激に対して二つ以上の感覚を感じるという知覚様式のこと」(参考図書②より)。
・数字や文字に色がついていたり(色字) ⇦うさこはこれ!
・音に色を感じる(色聴)
・味を形で感じる
・音を味で感じる
・痛みを色で感じる、など。
数字や文字に色がついているのは割と多いのかな。
参考図書①の著者はサヴァン症候群でもある。
サヴァン症候群とは、精神障害や知能障害を持ちながら、ごく特定の分野に突出した能力を発揮する人や症状を言う。(e-ヘルスネット厚生労働省 https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/heart/yk-072.html より引用。)
カレンダーを何年遡っても、その日の曜日が言えるとか、何桁もの計算ができるとか、ある分野において突出した能力を持っている。
一般的に男性や自閉スペクトラム症(昔で言う自閉症)の方に多いんだそうな。
でも、彼が見ている数字の風景はとても綺麗なのだ。数字が群をなしてきらきらと上空を飛んでくるとか(読んだのが何年も前なので、うろ覚えで申し訳ない)。
あとは、両方の本に出てくるけど、味を形で感じる人。「この味はもっと尖った形にしないと人には出せない」と言っていたそうだ。
うさこはこういう特殊能力とでも呼べる話が結構好き。その人達の世界観を垣間見て、自分にはない景色を想像すると、世界がまた広がって見えるのがいい。
だから特にこういった方達に対する偏見とかはない。興味はある(笑)。自分も少しそうだしね。
共感覚、うさこの場合
うさこの記憶にあるのは、小学校一年生の時に数字を書く練習をしていた時のこと。数字に色を感じたのは、この頃が初めて。たぶん、数字を初めてちゃんと書いたのがこの頃だったからなのでしょう。
当時、うさこは「きれいに二つに分けられる数字」つまり偶数が好きで、割り切れなくて必ず余りが出る奇数が嫌いだった。
うさこの中では結構毛嫌いしていて、
「まったく、奇数のやつめ!今日も割り切れないんだから。」
みたいにちょっと忌々しく思いながら奇数を書く(笑)。そんな毎日だった。
書くのに抵抗はないんだけどね。
そして、当時のうさこは青みのある色が好きで、すなわちそれは偶数の色だった。
中でも2と4は特に好きで親しみのある数字で、2、4、6と大きくなるにつれて青みが濃くなる感じ。6は群青色みたいな感じ。
でも、8はなぜか当時の私には奇数の方に分類されていて、赤色系統。
つまり、暖色系統の色は奇数に当てられていて、どちらもあまり好ましくなかった。
1は、白っぽい感じ。
3は黄色。
5は威張っている感じだから赤(九九の五の段って覚えやすいですよね。5は数をくくれるしわかりやすいという点で最強。それが5の強さ。)。
7は橙色か黄緑色。
8はなぜかもっと濃い赤。
9は一番親しい2と4から距離があって縁遠い感じの数字だから、濃い目の紫色(子どもにとって、紫って何だか馴染みが薄い色ですよね?)。
あれ?草色の数字があった気がしたけど、ないですね。
あと、今思えば13は結構気持ち悪い組み合わせだった。なんでかなあ。色も綺麗じゃない。小豆色にピンクを混ぜた感じ?で濁っている。
11は灰色、どんよりと曇った雪の日の雪の色。うさこの誕生日は11月9日なので、色も暗くて冴えないし、奇数だし、おばあちゃんみたいな色であまり好きではなかったな。
共感覚に蓋をする
前述した通り、小学校に入学したばかりのうさこは、これって普通の感覚ではないよなという気がしていて、自分からこの感覚に蓋をしてかき消したのでした。
だから、今は数字は数字が書かれた色で、数字の意味合いだけで認識している。一般の人と変わらないと思う。自分の共感覚のこともすっかり忘れていたくらい。
そのこと自体にはあまり苦しさもなく、うさこの場合は特に勉強とかに支障もなかったけれど、「自分のことを押さえ込んでいる」ことにはなったと思う。
「ほんとの私」じゃなかった。
だから、ここで話そうと思った。ちゃんと、本当のうさこでありたい。
共感覚者の中には、抑えようとしてもこの感覚は抑えられないという人もいるみたい。きっと、うさこのようなうっすらとした共感覚じゃない方なんだろうと思う。
参考図書②の著者は、切ろうとしても切り離せないと言っていた。その分、日常生活で共感覚(この著者の場合は文字に色がついていること)の影響を結構強く受けている。鎌倉時代の将軍の名前がみんなピンク色でこんがらがるとかね(笑)。
あ、でも奇数に対する偏見はずっと残っていて、たぶん小学4年頃だったと思うけど、奇数はおめでたい数字なんだというのを知って、そうか、めでたいやつなんだと思って、和解したんですよね。
なんだ、あいつら結構いいやつなんじゃん。
それから暖色系とも和解して、特に橙色と黄緑は好きになった。
今は、暖色系との方が仲がいい。
最近、速読の練習をしていて、本の書面に風景を見たり、分からないことを理解しようとした時に、平面が立体構造のように立ち上がってくることがあった。
そうやって自分なりにこじつけて理解しようとしているんだと思うんだけれど、これって共感覚と通じているんじゃないの?と感じた。繋がっているような気がする。
数字の説明は、自分で書いていて可笑しい。なに、「5は威張っている」って(笑)。
でも、これは封印しない方がいいと思った自分の一部なのでした。
最後に…人とは違うということについて
うさこは、自分が変わった子なんだというのがずっと負い目だった。何か変わったことを言うたびに、好奇の目で見られたり、見る人の視線に違う色が差すようで、居心地が悪かった。
ずっと自分でいてはいけないような気がしていた。
でも、本来の自分の姿を世間に合わせるように鋳型にはめていると、とっても苦しいんだよね。
だから、うさこは周囲に合わせることをやめた。もう自分を鋳型にははめない。
珍種のうさことして自分を大切にしていきたいよ。
うさこは、人生って自分そのものであった時にうまく進むようにできていると思っている。人は、自分が一番いい形で人生を歩めるように、その能力を備えて生まれてきていると思うから。
だから、人と違う特性も、様々な障害も、全てがその人の力であり魅力として捉えられるような、そんな社会になるといいなと思う。
そしてうさこも、そういう柔軟な価値観を持って人と接したい。
その人の力を、自分の力も、生かしたい。
色んな人の力と魅力が出し惜しみなく発揮されて合わされば、世界はとっても豊かにそして力強くなるんじゃないかな。
ね、そう思わない?
では、またね!
=参考図書=
①『ぼくには数字が風景に見える』ダニエル・タメット、講談社文庫
(本の装丁が綺麗でかわいいです!)
②『1は赤い。そして世界は緑と青でできている。』望月菜南子、飛鳥新社
他にもまだあるけれど、うさこが読んだのはこの2冊です。
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