今日は、前回①からの続きです。
うさこが当時、公務員として福祉の仕事をしながら抱えていた葛藤を綴っています。
仕事をすることの重み
家庭の問題に関わる福祉の仕事は想像以上に重くて、当時のうさこは事態を動かす力もなく、採用された年はとんでもない仕事を選んでしまったと感じた。
でも自分で選んだので、逃げる訳にもいかない。
大学卒業後の約3年間、親のすねをかじった身でさすがに自立しない訳にはいかなかった。
元々、大人の言うことだけを聞いて生きていたので、結構依存的で社会性が低かった。
加えて親との関係も色々あって、自己否定感情もとても強かった。職場の同僚や先輩、上司との関係にも神経をすり減らして不眠症になった(笑)。
あと、自己紹介にも書いたけれど、うさこはHSP(hyper sensitive person:過剰に繊細な人)だとここ数年でようやく気づいた。
他人が気にしないことに気づいたり気に病んでしまうので、刺激が多い集団は疲れやすいということもあった。それが仕事に生きる場面もあったけれど、心労の方が遥かに大きい。
最初から難破しそうな勢いで(笑)、社会人として一人暮らしをしていくことはびっくりするほど大変だったけれど、親や他の大人がどれだけすごいことをしているのかもよく分かった。
仕事で得た正負さまざまな経験
そんなこんながありながら、就職してからがうさこの本当の自立の期間となり、大きな失敗をしたり仕事を通じた様々な出会いで、自分の見栄とか弱さとか無駄な部分が容赦なく削ぎ落とされた(笑)。
意に反することには合わせることができない性分なので、パワーハラスメントも受けた。
うさこ自身であることを試されているような逆境だった。
激務は続いたけれど、9年目にしてようやくうさことしての仕事のやり方が掴めた感じがした。
同時に、どれだけ努力しても拭えない自分の異物感や疎外感、周囲の価値観に対する激しい葛藤に苛まれた。
みんな、辛そうに仕事をしていた。
税金を納める市民にできる限りの価値を還元しようとする余裕のある人は、多くなかった。
尊敬する先輩にも出会ったけれど、飛び抜けている人の意見はあまり理解されなかった。
それ以外に、予防接種をするのは当然だし、子どもの問題と農薬や添加物等食の影響を考慮する人もいなかった。
社会構造がそもそもひずみを生み出す仕組みになっていて、福祉政策は小手先の火消し役に過ぎない。個人的にそう感じ始めていた。
上司や先輩よりも多くのことに気づいても、和を乱すことは空気的に敬遠される。
社会の多数に適応しきれないうさこ
うさこは、難しい案件でも挑戦して得た成果を喜びたい。
情熱を傾けて仕事をしたい。
地域の方々と力を合わせて目標を達成したい。
持てる可能性を広げて向上したい。
一流の人間になりたい(まだまだこれから)。
面白い仕事がしたい。
自分の中に前向きな気持ちや建設的な技術が育っていくほど、現実には周囲の和を乱さないために(これでも)、自分の価値観や考えを押さえ込まないといけない場面が増えた。
見方を変えれば、ずっと言えなかった自分の意見を表現できるようになってきたのだ。
それに、少しでも可能性を求めた仕事をしようとすると、当然、そこまでやらなくていいんじゃない?やり過ぎなんじゃないの?と言う大方の感覚と反するやり方をすることもあるので、時々迷惑をかけてしまうとも感じていた。
職場の環境がよくないということではなく、それだけ大変な仕事をしていた訳で、うさこが本当に変わっているので適応し切れなかったんだと思う。
それに加えて、
もっと広くて豊かな世界を見てみたい、
体の底から感動する絶景が世界にはあるはずだ、
そういう世界に飛び立ちたい、
自由になりたい、
そういう理由の分からない衝動が自分の中にずっと渦巻いていた。
③に続きます。
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