はじめに
前回の記事はこちら。
今日は久々に随筆的な物を書いてみました。
『怪我の功名』
つい最近、醤油麹を作っていて反射式のストーブの上で麹の瓶を鍋で湯煎にかけていた。麹を使って調味料を作る時は、発酵させ美味しくするために58度程度で8時間ほど発酵させる必要がある。常温でも作れるが、一定程度の高温を保てた方が甘味が出てとろとろと舌触りが良くなり、一層美味しくなる。
ストーブは両親が過ごしている1階にあり、わたしは2階の自室で過ごすことが多い。そのため、時々1階に降りて鍋の湯量を確認して、適宜お湯を足していた。
その日はブログの文章を書くことに煮詰まっていて、鍋にお湯がなくなる頃合いを見過ごしていた。麹のことを思い出して鍋を見に行った時には、鍋の底がすっかり乾いて白く変色していた。慌てて隣にかけてあったやかんのお湯を足したら、高温で熱せられていた鍋の中でお湯がぼこぼこと以上なまでに沸騰し、その温度で瓶が内側から割れて醤油麹が床から壁に飛び散った。片手鍋の取っ手を掴んでいた右手の親指から人差し指にかけて、そしてひだ親指の付け根に熱く粘度をました醤油麹が貼り付いて、確実に火傷をしたと感じられた。
わたしは実家に世話になっていながら、実は両親とは家庭内別居状態にあった。わたしはこれを「仁義なき戦い」と呼んでいた。誰が何と言おうと、嫌なものは嫌だと言う。言ってやる。子ども時代に吐出せずに溜め込んできた長年の鬱憤が爆発していた。
醤油麹の瓶が爆発した音を聞いて、父が和室から出てきてこう言った。「だから、こんなふうにしていたら危ないぞって言ったべ。」母がやったことだと思い込んでいたようだった。「蓋をして火にかけたら、爆発するのは当然じゃん」父は耳が遠くて、声が大きい。若い頃にヘッドフォンで音を鳴らして聞いていたので、難聴氣味なのである。理系の学部出身の父は、理科的な説明をする。けれど、その話が分かるのは同じ分野の知識がある人だけだ。わたしは文系で、高校一年の時に化学で挫折して以来、理系科目は捨てた。知らねえよ、そんなこと。しかもわたしは湯煎にかけていたのであって、瓶を火にかけていた訳ではない。父はいつも自分本位な話し方しかしない。
むっとして、「やりたくてやった訳じゃない。文句しか言わないんだったら、片付けはわたし一人でやるから手を出さないでください」と低い声で言った。氣付いているのにそのままにして、いざ事が起こったら相手を責める。責めるだけ。事態を防ぐことは何もしない。いつも通りに父に無性に腹が立つ。広範囲に飛び散った醤油麹は暖房でどんどん乾燥してこびり付いていくのが分かったが、手の火傷が痛むので、放っておくと悪化して危険だと思った。
以前、古武術で有名な甲野善紀さんが自身のXで、火傷をした時は高温で患部を温めるといいとつぶやいていたのが記憶にあったので、試してみようと思った。どうなるのか、どのぐらい温めればいいのか分からないので不安もあった。コンロに火を付けて弱火にし、その火で両手の患部を炙る。熱を受けると醤油麹が貼り付いていた部分はジンジンと激しく痛んだ。本当にこれで治るんだろうか。不安の中で手を火にかざし続けた。
15分以上そうやっていたのだろうか。そろそろ掃除をしないと母が何か言ってくるなと思った矢先に、「早く拭いてちょうだい」と母に言われた。火傷をしたとか、応急処置をしてから掃除をするとかを母には伝えていないから、母がそう言うのも当たり前かもしれないけれど、母は昔から、こういう時に「怪我はしなかったの」とか「大丈夫だったの」とか氣遣ってくれる人ではなかった。そういう人ではないことは分かっている。淡々とこなそうと思った。
患部は痛むけれど、火で炙っていると少しずつ痛みが取れてきたので、火傷を温める方法はいいように思えた。なのに、右手の火傷が広範囲なので不安になり、日頃摂取しているミネラルの原液を塗ったら効果的かもしれないと素人考えで思い立ち、布に浸したミネラルを右手の幹部に当てた。すると想定した以上に冷たく感じて、逆効果だったように感じた。よくなかったかもしれない。そう思いながら、怪我と感情を切り離して床と壁の掃除に移った。
父は掃除をする、物を片付けるという概念がなく、父のいる部屋は物で溢れていた。母は物を大切にするという氣持ちが乏しく、掃除機はかけるけれども、家の中の物は埃や油汚れで汚れていた。実家を新築した時に両親の自慢だったコルク製の床材は、誰も磨かないので真っ黒に変色していた。昔、父を駆り出してその床を磨いた時があったが、「嫌だ、やらない」の一点張りの父を前にして、一人で床を磨くわたしの氣持ちも萎えた。両親が汚すのなら、そのままにしておこうとそう思った。
固まり始めた醤油麹の残骸達をどうやったら綺麗にできるのか。ひとまず重曹水でふやかしてから拭取る方法を考える。吹き付ける量が少ないとすぐに乾燥してしまうので、多めに吹きかけて端から掃除をしていく。大好きな醤油麹をこんな屍(しかばね)にしてしまった残念な氣持ち。失敗は、失敗しないことよりも失敗した後に現状を回復する過程が大切で、その経験はどんな成功にも勝るから誰にも譲ってはならないというわたし自身の信念を自分自身に確認する時間。重曹の力で、醤油麹だけではなく床の汚れまで溶け出して真っ黒になった水を拭取りながら、自分は物も家も大切に扱わないくせに、わたしが汚したら「汚された」と言わんばかりの物言いをする母への嫌悪。昔、重曹の効力を知らなかった時に床を磨いた時は大変だったが、こんなに簡単に綺麗にできるものだなんて、これが分かったのは怪我の功名と言えた。
そう、淡々とやり過ごしていれば、母がどうであろうと傷付かずに済む。今までの自分が不幸だと感じていたことも、こういう一見辛い体験も魂として経験したかった体験だと思えばどこか面白がっていられる。そう思った。けれども、それを思考でこねくり回してしまったが最後、涙が込み上げてきた。
霊能者のおばちゃまに「嘘、偽り、二枚舌」と言われたこと。お茶の先生に「小学生ぐらいまでで心が育っていない」と指摘を受けたこと。それは、母からそういう関わりを受けてこなかったからだ。お茶の先生は併せてこう付け加えた。「でもそれは、お母様の責任ではなく、あなたが治してこなかったのが原因よ」と。先生はわたしの予後を思いやって言ってくださっていた。はい、仰る通りです。でもこの時、子どものわたしは胸の内側で泣いていた。小さい頃の具体的な出来事は思い出せない。けれども、わたしは母から氣遣われてこなかったんだと、その事実が悲しくて、やり過ごすことができなかった。いつも他人事で無責任な父にも怒りが湧く。両親とは絶縁しよう、そう思う。こういう時に守護天使のカナエルを呼ぶと、毛布をかけてくれるみたいに温かい何かでわたしを包んでくれる。一人じゃないと思えるのが、せめてもの救いだった。けれども、子どもの頃に心の奥底に押込めていた否定的な感情が出てきたのは怪我の功名と言えた。否定的感情が湧出してくるのは、手放すためだから。
火傷は思ったよりも酷くならなかった。利き手でもある右手の火傷が心配で、試しにまた肌荒れに効くというクリームを塗ってみた。これもまだ寒い部屋の冷氣で冷えていて、患部に乗せたら異様に冷たく感じた。また失敗だったかもしれない。左の親指の付け根にある火傷は、もう痕が残っていない。やっぱり冷えを感じる処置はよくないんだな。火傷は高熱で応急処置さえすれば、あとは自然治癒力で治せるのだ。体の回復機能はすごいと感嘆する思いだった。
否定的な出来事も全て意味があって起きている。怪我の功名なのだ。けれども、今日は色々と疲れた。
まとめ

甲野善紀さんのつぶやき情報はこちら。
今日はこの『備中千金用方』という唐時代の漢方書を探していたけれども、見つけられなかった。どなたか情報があったら、教えてください。
そのうち火傷が治った経過もまとめたいです。

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