はじめに
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更新が遅れる程の旅をしましたが、それはここから始まったのでした。
『旅の布石』
わたしが「阿闍梨」というあだ名をつけた女がいる。
何でも、過去世で密教系の真理を極めたお坊さんだったことがあるらしい。彼女とはあるお稽古事で友人になり、お互いに見えない世界のことに興味津々だったため、時々聖地と言われる場所に旅行をするようになった。去年2024年は10月に鞍馬山と貴船神社を回り、面白い出会いがあった。このことはまた別な機会に書くことにしたい。
2025年10月下旬のこの日、阿闍梨とお稽古の後にお茶をしながら、前日に他の友人と会った時の出来事について話していた。わたしには他に、潜在意識関連の講座で友達になった友人が2人いて、このお稽古事で東京に来る時に、彼女達と会う予定を抱き合わせて月に一度の頻度で講座終了後も情報交換を続けていた。女子3人で人生の勉強会をしているといった具合である。
そのうちの一人であるまいまいは、ご主人の影響で四柱推命を勉強しており、前の月にそれで見てもらったもう一人の友人たあちゃんが大きく彼女の現状を変えようとしていた。「ここで行動したら、絶対に状況が大きく変わるよ」「うん、そうだよね。まいまい、ありがとうっ」そんな彼女達の会話を聞きながら、わたしも俄然自分の命式を知りたくなった。ちょっと待って、あたしも診てもらいたい。そうして診てもらったわたしの特徴は、今までの人間関係や流れを反映し、両親との関係性まで示唆していた。「この命式は、この星の通りに生きると人生がうまく行くよっていうものなのね。芸能人とかの命式を見ると、本当にこの通りに生きているから、さすがだなって思うの。」そのまいまいの言葉を聞いて、そうなのかあと妙に納得するものがあった。わたしの場合は、美人の星が二つある、勉強が得意、一つのことを集中して学ぶのが好きで、それを次々に切替えていくのが合っている、らしい。親からも離れた方がいい、と。去年辺りから美人というお褒めの言葉を頂くが、わたしは実はその称号には抵抗があった。それを見透かしたたあちゃんに「うさちゃん、まだそのことを受入れていないでしょ」と、じろっと見つめられて下を向く。あと、まいまいからの助言で、赤い口紅をつけた方がいいとのこと。分かった。自分の行くべき道が見えた感覚があった。四柱推命ってすごいな。まいまいの隠れた技能に脱帽だった。
そんな話を阿闍梨にしたら、突然かぶりつかれるような勢いで「私もそれを受けたいっ」と言われた。確かに、次に会う時は氣の清浄な別な部屋を借りて、まいまいの鑑定会ごっこができたらいいねという話はした。ただ、昨夜まいまいが調べたところではその室料が結構なお値段だった。「その鑑定っていくらかかるの。」「いや、友達だし鑑定士としてやっている訳じゃないから、ただだと思うよ。でも、お部屋の室料が高いんだよね。」「それ、私が出すから診てほしい。」さすが阿闍梨である。こうと決めた時の決断が早くて強い。ああ、うん、わ、分かった。ちょっと相談してみるね。阿闍梨の勢いにたじたじになり、そう答えるのがやっとだった。
そして、話はわたしが12月に受けるお稽古事の昇級審査の話になった。今回はその昇級審査を受けるために大阪に行かなければならない。その日程について話をしていた時のことだ。「大阪かあ。私、奈良の天河大辨財天社に行きたいんだよねえ。」そういう阿闍梨に、「わたし2年前に行ったよ。」氣易く答えたのが運の尽きだった。「ええっ、そうなのっ。だって呼ばれた人しか行けないって」「ううん、行ける行ける。前はそうだったみたいだけど、世界遺産に登録されたことで道路も拡張されて行き易くなったし、普通に行けたよ」「そうなのっ。私、弁財天様が大好きで、絶対に行きたい場所に保存しているくらいなんだけどっ」「あ、そうなの。何で行っていないの」「だって、呼ばれた人しか行けないって言われているから。で、前はどんな感じだったの」そして、『天河神社』の経緯を話した。直前に行くことを勧められた丹生川上神社下社のこと、たまたま目に留まって選んだ民宿のおばあちゃんが弁財天様のお使いだと言われる人だったこと、そこが座敷童の宿だったこと、天河神社の朝拝のこと。「行きたいっ」爛々と光る目をして迫ってくる阿闍梨を断る術は、わたしにはなかった。わたしさあ、11月に書道の昇段試験っていう山場があるんだけど。さらに忙しくなるじゃん、もう。
そんなこんなで、書道の試験練習の合間を縫って、まいまいやたーちゃんに事情を説明して日程と内容を調整し、借りる部屋の所有者との事前面談をこなし、阿闍梨に経過報告を入れ、11月半ばの開催調整がようやく整った。まいまいには妖精カード占いを、たーちゃんにはお抹茶のおまけ付きで。かと思ったら、「ねえ、天河の方はどうなったかな」天河の宿は混んでいないと思うからまだうるかしておいても大丈夫と、保留していた宿の予約を阿闍梨から催促され、今鑑定茶会の調整が終わったばっかなんだよっ、内心ぐぬぬと息巻き、一旦お前が調整しとけと阿闍梨に宿の電話番号を伝えた。しかし、「電話してみたらおじさんが出て、いっぱいですって言われた」と泣き言を言われる始末である。おかしいなあ。前回泊まった時はそんなに混んでいなかったけどなあ。はあ、この旅はあたしが調整しないといけないっていうことなんですね。観念して、天河の宿に電話をかけた。女将さんであるおばあちゃんが電話口に出て、「その日程なら空いているよ」とすんなり予約が取れる。色々と予約の状況を探ったが、「その日はあんたらの泊まる部屋は空いているよ。どこか違う所にかけたんとちゃうん」と雲を掴むような会話にしかならなかった。もう、何なの。
そんな日々を過ごしていた11月上旬のある日、朝方のまどろみの中で、わたしの脳裏に極彩色の光の中で鳥の大きな目、左目が見えた。しばらくこちらを見つめてゆっくりと目を閉じ、そしてすうっと光の中に消えた。何の鳥だろう、鳳凰かな。そう思った。次の日もその鳳凰の氣配があるので、よく分からないけれども一応自分に降ろしてみるか。胸の中心に鳳凰を降ろす儀式をしてみた。そこから鳳凰が氣になるようになった。調べていくうちに、江島直子さんの動画に行き着いた。何だか心の中も色々と忙しい。
そして11月半ば、わたしとまいまい、たあちゃん、阿闍梨に加えて、わたしの神様司令女子「夜見ちゃん」(『阿夫利の父』参照)も急遽参加してくれることになり、うさこ繋がりで初の5人会を開催した。面識のなかった人同士もお互いを氣遣い、誰一人として仲間外れにならない空氣をみんなで作ってくれて、本当に心地良い会になった。まいまいの妖精カードに加えて、たあちゃんの立てるお抹茶を頂きながら、阿闍梨は大満足してくれた様子だった。
終了後に、最後まで残ったまいまいと夜見ちゃんとわたしの3人で12月に行く天河神社周辺の旅について話をした時のことだ。夜見ちゃんが「今、『他の神社にも行く』って聞こえたんだけど、どこか他の場所に行く予定はあるの」「ああ、それなら丹生川上神社の下社じゃないの」「いや、それは分からないけど、」言い淀む夜見ちゃんの話を、いつものように何だかはっきりしないなと聞き流し、丹生川上神社下社の思い出をまいまいに語った。夜見ちゃんもそのことについてそれ以上は言わなかった。
みんなが思い思いの話をし、何かが解放された夜だった。とても充実していた。わたしは素敵な友人に恵まれた。

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