はじめに
前回の記事はこちら。
読書に関連した記事はこちらの「名物書店員の選書1」と「名物書店員の選書2」から。
今日は、このことについて説明するよ。文字だけなので、付いてきて。
- 情報が厚い
- 独自の読書世界と体験がある
- ここにいながら世界を広げられる
- 感情を代弁してくれることで生きる力が育つ
『読書の意味』
読書の意味って、何なんだろうね。
わたしは読書が好きだから、本を読むことの価値とか、読書の意義を語りたいけど、なんかそれってどこか正義感が混じっているから、聞いている人に押付ける感じになってしまって氣が引ける。
かと言って、本を読まないのも人生の価値を大幅に損なっているように思う。
テレビとか映像は、受動的な情報処理の態勢が取れる。一方で本は、主体的能動的な態度が求められる。白と黒で型取られた文字列から、情景や景色や人物や状況、感情を色彩をつけて立体的に自分の中に描かなければならない。音声の吹替も自分でやる。文字と文章を読みこなす、噛み砕く力も必要になる。全てが用意されている映像情報と違って、ある程度の文字を読み脳の中で再生する技術と、それを苦にしない忍耐力、読書的体力が必要になる。本は、読み手に一定の負荷と能力を強いる媒体なんだと思う。
それだけにテレビやその他映像作品と違って労力が要るし、疲れることもあるし、そこから情報を得るのは簡単じゃない。読書離れが進んだのは、本よりも簡単に情報が得られる媒体が多数出現したことによるんだと思う。
じゃあ、何でそんな難しいことをわざわざして本を読むのか、ということなんだけれども、何でだろう(笑)。
一つは、情報の厚みがあること。本にもよるけれど、一冊の本には編集者の手も加わってその著者が調べてきた知識や情報、見識が詰まっている。さらにそれが整理されているから、なお分かりやすい。一方で、音や映像による情報処理には、時間という制限が付いてくる。5倍速の映画とか映像自体を見ても何をやっているか分からないよね。あと周波数とかの関係で、聞き取ることができる音源の再生は4倍速が限度だと、わたしが速読を習った「みん天」理事の鬼丸氏が言っていたんだよね。うさこは今のところ、3.7倍速辺りが限界かな。実は、音声情報の処理速度には上限があるんだけれども、文字情報の処理速度の上限はそれよりも遥かに高い所にあるので、単位時間当たりの処理容量はどうしても文字情報の方が高くなる、んだよ。これはわたしの体験的な話なので、何かの論文とか調査に基づいた話ではないんだけれども。
この体験的事実は速読を習得できた上での話になるので、万人に当てはめられる話ではないけれども、映像や音声の情報よりも、本における文字情報の方が情報量とその精度が高いよねという結論になる。
二つ目は、本には読み応えと読後感という独自の読書世界での体験があることかな。作者が文字で提示した世界を読み手の力量で再生し、その軌跡を辿る。その過程に何とも言えない素敵な世界観が出来上がる。その体験が他の媒体に変え難い魅力を持っているからなんだと思う。美しい文章に触れた、美しい世界観に触れた。それも自分から触れに行った世界で、自分と本との間にしか存在しない場所なんだけれども、それが自分の中に一つの風景を作ってくれる。それが面白くて本を読んでいる氣がする。
三つ目、ここにいながらにして世界を広げられること。楊貴妃で有名な古代中国、盛唐の時代も、平安時代も、ソビエト連邦が崩壊したばかりのロシア情勢も、アメリカのノーベル賞作家の作品も、カナダのプリンスエドワード島での生活も、お小遣いの範囲でここにいながらにして味わうことができる。もちろん、天川村で知り合った霊能者のおばちゃまが言っていたように、人は本当の意味では体験しないと物事を本当の意味では理解しないというのは真理だ。でも、何もない白紙の空間しかないのと、そこに少しなりでも世界地図や風景のある空間が広がっていたら、自分の世界観や世界に対する理解度は高まったり深まるいると思う。人間性を深める意味で、読書が与えるこの「面倒な能動的体験」の価値は大きい。
四つ目、自分の感情を代弁してくれること。感情や感覚というのは、言語化して初めて自分で捉えることができる。そんな性質があると思う。この氣持ちをどう表現したらいいんだろう、このもやもやをどう扱ったらいいんだろう。そんな自分の中にある複雑な感情を、小説の登場人物がぴたっと当てはまる表現で言葉にしているのを読んだ時に、そうそう、これが言いたかったのって思った経験はないですか。日本語学者の大野晋さんという方が本の中で言っていたんだけど、
正確に認識できていないことは、言葉にすることができないのです。
『日本語の教室』大野晋著、岩波新書
言葉にできるということは、その事象を的確に理解できたということなんだそうな。その作業をすることによって、わたし達は自分を理解し、自分に起こった出来事を咀嚼して力にしていくんじゃないだろうか。それは即ち、生きる力なんだと思う。
まとめ

まとめると、うさこ的「本を読む意味」は次の通り。
- 情報が厚い
- 独自の読書世界と体験がある
- ここにいながら世界を広げられる
- 感情を代弁してくれることで生きる力が育つ

結局、面白いから本を読んでいる、それだけなんだな。でもそこに能動的・主体的な読書技能を伴うから、それも面白いんだと思う。そのちょっと大変な一線を越えると、自由な想像の空間が広がっていて、世界を味わう手立てが一つ増えるから。
そんな感じですけど、あなたはこれを読んで読書をしたいと思って頂けたでしょうか。

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