西表野生生物保護センターに着いたのは、閉館の10分前だった。もう展示は一通り見ているので、お手洗いで用を足しチラシなどを見ていた。「17時閉館です」と声をかけてきた女性を見て一言二言話すうちに、この聡明さ、これはただの職員ではないと思い、聞いてみるとやはりセンターで働く獣医さんだった。こう言う方にお話を聞きたかったの。ここぞとばかりにヤマネコについて矢継ぎ早に話を聞いた。イリオモテヤマネコが絶滅危惧種に指定されいているのは、やはり島と言う限られた面積に住む以上、そこで生活できる個体数には限りがあるためである。生息数は100匹前後と言われる。その生息環境上の条件から、ヤマネコのおっぱいの数は家猫の半分で、一度に生む子どもの数も1、2匹と家猫の5、6匹に比べて少なく、増え過ぎても生存競争が激しくなるため、環境に適応したと考えられること。なるほど、これは新情報だ。一方でこれに関連して疑問もあった。ヤマネコは水辺の生き物も捕食するため海辺にのみ生息すると言われるが、わたしは果たしてそうなのかと感じていた。実際にはどうなのか。また、万が一事故を起こした際の島民や島外への影響など、これまでに入手した情報の真偽も聞いてみた。生き物を一種守るだけでも、そこには数多くの人間模様が繰り広げられる。西表に来てから、ヤマネコを巡るあれこれで考えさせられることが多かった。そのことを一挙に解決できる手を見出せる人がいたらいいのに、わたしも含めて大した力にはなれそうにない。本来はヤマネコの生活圏と人間の生活道路を完全に分けるのが一番いいのだろうが、そのための工事ですら自然を破壊するだろうし。それらが考え尽くされた上で、側溝の形状を工夫して餌となる蟹などが道路で轢かれるのを防止したり、ヤマネコが道路を横断しないで済むように地中トンネルが設置されたり、道路への侵入を防止する網が張られたりしているのだと思い至る。わたしは今まで試みられた手段をなぞって一周したに過ぎない。当面は交通事故に氣をつけて速度を落として通行するしかないのだな。話のおまけで、ヤマネコを治療する保護施設の獣医になった経緯なんかも聞かせてもらった。色々と貴重な話を聞くことができて、大収穫だった。ヤマネコを探しているのだと伝えると、会えるといいですねとにこやかに返してくれる。カンムリワシとの遭遇はそこまで難しくなく、雨上がりに電柱の上で羽を乾かしている様子をよく見かけると言うので、そちらにも期待を寄せる。獣医さんに確認すると、展示物の写真は撮影してもいいそうで、堂々と写真を撮って保護センターを後にした。
これから、西表島は夜に向かう。
宿の方向に戻る途中で由布島を通り過ぎ、ふと立ち寄りたくなった。理由は何もないけれど、直感が「ここだ」と言う。看板に沿って海側に右折した。わたしは水牛車を目当てに観光客でごった返す日中の由布島には用はなかった。陽は西に傾いている。夕暮れ時の由布島には人も水牛車もいなかった。波打ち際に近付くと、静かに潮が満ちてきている。小さな魚達が満ちる海面に合わせて跳ねる綺麗な音色、ヒルギ達の根元に潮が上がってくる微かな水の音。遠くの夕焼けに佇む由布島とそこに渡る無言の電柱の群れ。まるで異世界に紛れ込んだような錯覚に陥りながら、わたしは宇宙の理を見た氣がした。わたしは潮の干満の時間を知らないが、ここに棲む生き物達は、魚も樹々もその周期に沿って生きている。それは地球の自転と公転に支えられ、宇宙の理の中にある。一瞬、目の前の景色と宇宙空間が重なって見えた。暗い宇宙空間に浮かぶ地球と、目の前の魚やヒルギ達とが繋がる。みんな偉いなあ。地球の境遇も宇宙の理も、生き物達はちゃんと知っているんだ。その情景に心が震えた。その感慨を胸に振り返って駐車場を見ると、あの独特の形状をしたシロハラクイナがててててと早足で歩いていた。そろそろ陽が暮れる。カンムリワシも未だ見つけられない。
陽が落ちると、西表の道路は暗闇に落ちる。そして、蟹が森から海を目がけて山のように降りてくる。最初は道路に飛び出さないように追いかけ回して逃していたが、次第にその数は尋常じゃない程に増え、手に負えなくなった。原付の照明に切取られた道路には、大量の蟹だけではなく、天然記念物で日本最大のキシノウエトカゲや(本当にでかい)、あれは多分ハブじゃないだろうかと思う蛇までいる。
この生き物達が踏まれた物をヤマネコが食べに来て交通事故に遭うので、数々の対策が設けられているのだが、そんな人間の健氣な努力が全く意味を成さないかのように大量の生き物が道路に溢れて来る。最初は蟹を踏まないように、必死で氣を付けていたが、わたしがせっかく避けた方に逃げてきて踏んでしまったりするうちに、謝りつつもそのうち諦めの境地に至る。バリバリバリバリっ。車が結構な速度で蟹を踏みながら走り去っていく。確かに、この数では車では避けようがない。
たった一人、原付で走る暗がりの中で、ヤマネコの氣配だけは感じる。この樹々の奥にいるのだと思う。鬱蒼とした森の葉に目を凝らしながら、この葉っぱが揺れて、奥からヤマネコが出て来るんじゃないか、そう期待して何度も樹々を見つめるものの、なかなかその機会は訪れない。それならと、ヤマネコが出てきやすいように、恐る恐る暗闇の中で原付を道端に停め照明を消して待つ。熊などの危険な動物はいないものの、わたしが暗闇に耐えきれず、長時間佇むことができない。他の目撃情報を頼りに、琉球大学の研究所がある奥まった道にも入ってみたが、そこでも蟹を踏んだだけで、ヤマネコには会えずに引返した。一人で何をやっているんだろうとまた思う。
上原港に近付くと、開けた場所に出る。空には夜の主のように威風堂々とまん丸い月が昇り、黒と紺色との見分けがつかない夜の暗い海の上で金色に輝いている。本当に満月なんだなあ。満月を見るのと、その満月の力を体感するのとは、同じようでいて全く違う。これだけの潮の動き、これだけの生き物達の移動が月に導かれているのだから。氣配を感じつつも、ヤマネコの姿を見ることは叶わず、宿を通り越して西側にある最後の目撃地点を目指す。
そこは畑の中の農道だった。わたしはそこから更に海岸に降りる道を知らないので、一面の畑の中にある道路の行止まりで原付を停め、することがないので仰向けに寝転んだ。時計は20時50分を指している。残り時間は少ない。ここに滞在できるのも長くて21時10分までかそこらだ。海が近く、波の音が聞こえる。月が明るく、まるで月の草原に来たかのようだった。サトウキビだったのか何だったのか、畑の草は風に吹かれて絨毯のようになびいている。ヤマネコには会えないかもしれない。ここまで来るとそう思う。でも、きっとこの波が寄せる海岸の近くにもヤマネコが棲んでいるだろう。その光景を想像するだけで、心は少し満たされた。ふと思う。イリオモテヤマネコは特別天然記念物だが、野生での寿命は5、6年と言われる。環境に適応するために雑食で、蟹も蛙も食べる。彼らだって狩の得意不得意はあるだろうし、つがいになれるかどうかだってそれなりの競争があるかもしれない。それでも、ヤマネコ達はただただ彼らの命を生きている。希少種だろうと何だろうと関係なく、この西表の自然の中で彼らの命を精一杯生きている。わたし達人間も動物だから、ヤマネコ達と同じなのだ。顔の美醜とか、何が一番で劣っているとか、本当はそう言うことは関係がない。今を一生懸命に生きればいい。自分の命を生きて、命を輝かせて生きればそれでいいのだと。もうそれだけで十分だった。わたしがヤマネコに会えなかったのは、この月の草原でこの想いに至るためだったのだと思える程に、その感覚はわたしの心に深く沁み込んだ。束の間の時間が永遠のように感じられた。
月の原に別れを告げ、元来た集落の道を引返した。また上原港を通り過ぎて少し森の方に差し掛かったが、ヤマネコには会えず、わたしは制限時間ぎりぎりまで乗った原動機付自転車を宿に返した。
わたしのヤマネコ探しは、終わった。







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