ヤマネコ探し、再び(西表島④)

 今日は、ヤマネコ探しの勝負をする。

 厳かにその準備をする。

 宿は若主人に頼んで同じ値段で延泊した。そして、野生ガイドをしていると言う若主人と社員それぞれに、ヤマネコの目撃経験や目撃情報のある地点の聴取をする。ガイドを兼務する社員は、以前に海辺の林の中で夜間ガイド中に、客と一緒に魚を咥えたヤマネコが目の前を通ったことがあると言う。そこはガイドの資格がないと入れない所ですけどね。そんな場所があるのか。それがここ三ヶ月以内の話である。そこまでは入れなくても、近くまでは行ってみよう。他にも、目撃情報が上がっている場所を確認する。同じ宿に泊まる一人旅のヤンキー風女子ともヤマネコ探しについて盛り上がった。

 若主人に一度目と同じ値段で車を借りられないかと交渉したが、さすがにあれはあの日だけの特別価格で破産すると言うので、代わりに一番安い原動機付自転車を借りることにした。返却期限は今日の22時だ。ヤマネコは基本的に夜行性だから、暗くなってから22時ぎりぎりまでの時間帯で勝負をしよう。ヤマネコに会えるか、会えないか。今日一日目でその運命が決する。心臓がどくどくと波打つ。

 ほぼ初めての原動機付自転車で、まずは昨日のカフェに赴く。昨夜、旅の道連れにしている小さな虎のぬいぐるみが見つからず、どうやらどこかに忘れたらしいと、カフェに当たることにした。原動機付「自転車」と言ってもそれなりに重く、やっとのことで駐車する。狭い店内は昼時で混雑している。ぬいぐるみについて聞くと、店員がありますよと言う。外で待つように言われたが、人目を浴びるのが嫌で店内に留まっていると、料理を運ぶのに邪魔だからと追い出された。暑いので近くのヤシの木の下で待つことにしたが、どことなく悪いことをして教室の後ろに立たされた小学生の氣分になる。恥ずかしさを堪えて「客の視線に晒されているわたし」に耐える。店員がビニール袋に入ったぬいぐるみを持ってきてくれて礼を言ったが、袋を開けた途端に嬉しさが吹き飛んだ。釣り具か何か、海の物を入れていたのであろう生臭さの中にわたしの虎は横たわっていた。もうちょっと違う袋はなかったんだろうか。ひとまず、見つかったからよし。

 次に無料wi-fiを利用しに上原港に寄る。LINEの調子がおかしくなり、連絡先が一掃されてしまってその修復も必要だった。そして明日から行く宿の手配を銀さんにお願いしていたが、その後禄に連絡が付かず、自分で宿を確保しなければならなかったためだ。不測の事態で、ちょっと氣が氣じゃない。友人の連絡網を駆使して何とか明日からの予約を取付ける。これで、明日から石垣島で泊まることができると胸をなで下ろす。小一時間ほどこれらに費やした。さあ、心置きなくヤマネコを探す。

 天氣は快晴である。外の空氣は想像以上に蒸し暑い。団扇で扇いでも熱風しか来なくてうんざりするので、団扇はあまり役には立たない。可愛さを優先したいが、そんなことよりも日焼け対策重視だ。そうやって上原港から小さな二輪車に跨る。

 今日は満月で大潮だから、さすがに潮の満ち引きが大きい。東西の周遊道路から見える海は、海面がずっと沖の方に移動している。干上がった海底にヒルギ達が陸からちょぼちょぼと足を伸ばしている。銀さんのサバイバルキャンプの時は新月で見たことのないような星空だったから、ちょうど二週間が経ったんだなあ。

 そして、はっとする。

 みなさんは、原動機付自転車で西表島の道路を走ったことがあるだろうか。

 肌に纏わりつく島の生命力が織り交ぜられた風。西表の高い山に生い茂る樹々の息吹。そこここに感じる沢山の生き物達の氣配。むんむんと迫る西表の生々しい空氣に全身を晒して原動機付自転車を走らせる爽快さは、今までに感じたことのない格別の感動をわたしに与えた。

 一昨日車で走ったから、西表の道路は分かった氣になっていた。

 けれども、外氣と遮断された車内と車外とでは体感が全く違った。これぞ西表。わたしは初めて西表島に出会ったのだ。

 今回は、まず一昨日行かなかった野生生物保護センターより東側の大原港とその周辺の神社などを回ることにする。周遊道路のヤマネコ親子の銅像や、大原郵便局の塀に乗ったヤマネコの置物など、『しまじま散歩 西表島スケッチ』で紹介されている目印を一つ一つ探して攻略して歩くのも楽しい。御嶽、ではなくあちらでは珍しい神社もうだる暑さの中でお参りしたが、鬱蒼としている他は特に何も起こらない。閑散とした大原港を見て、腹ごなしに近くの玉盛スーパーに立寄り、現地ならではの商品を物色する。沖縄県産の玄米や紫芋などと島産のよもぎなどを発酵させた甘酒のような飲み物を発見し、非常にご機嫌になる。わたしは現地の材料で作られた食べ物に目がない。しかも上原港近くの商店には置いていなかったので、これまた新種を発見したようで嬉しくなる。スーパーのお手洗いを借りると、一方は詰まって調子が悪そうだった。宿の若主人が言っていたが、西表島は珊瑚でできているために下水道菅が深く掘れず、臭いが上がってきやすいと言う。恐らくここもそういった事情なのだろうと推測する。この不便さも島事情ならではである。

 大原港周辺の街並みを味わい、来た道を戻りがてら、原付で初めての給油をしてみようと給油所に寄る。給油口の場所すら分からず、店員のおじさんに逐一聞きながら給油をする。料金は確か147円、こんなに安いんですねと言い合う。安全性は乏しくても燃費なら原付の右に出る者はいないだろう。

 そして、西表野生生物保護センターを目指す途中、橋に差し掛かろうとする所で、虹の門を見た。その後ろに従えた雨雲と共に、虹がこちらにやってくる。

 ーこんな光景ってあるのだろうか。

 後で写真を見返すと二重の虹だ。信じられなくて、目をしばたたかせる。虹の根っこだって両側にくっきり見える。右手は海の青、左手は海に迫り出した森の緑。その境目を雨雲を背負いながら、その移動に合わせて小さな虹の門が向かってくる。こんなに小さい虹なのに、素人の工夫をどんなに凝らしても写真の画角に収まりきらない。改めて人間の眼の視野の広さや性能の高さに感服する。虹はわたしが渡ろうとする橋を跨いでいたから、虹が頭上を通過するのも見た氣がする。しかし次に記憶があるのはその後に当たった雨を凌いだ雨宿りの記憶だ。信じられない物を見た、その唖然とした氣持ちや恍惚感だけが強く印象に残っている。ちょうどよく現れた道端の無人販売所で、雨がいつ収まるのだろうかと少し不安になりながら、激しい雨と風をやり過ごした。雨はじきに止んだ。わたしは西表の自然がかけてくれた魔法を見せてもらったのだ。

 西表野生生物保護センターに着いたのは、閉館の10分前だった。もう展示は一通り見ているので、お手洗いで用を足しチラシなどを見ていた。「17時閉館です」と声をかけてきた女性を見て一言二言話すうちに、この聡明さ、これはただの職員ではないと思い、聞いてみるとやはりセンターで働く獣医さんだった。こう言う方にお話を聞きたかったの。ここぞとばかりにヤマネコについて矢継ぎ早に話を聞いた。イリオモテヤマネコが絶滅危惧種に指定されいているのは、やはり島と言う限られた土地に住む以上、そこで生活できる個体数には限りがあるため、どうしても減少から守る必要があること、家猫はおっぱいの数が8つあり、子どもも一度に5、6産むが、ヤマネコはその生息環境上の条件からおっぱいの数は半分の4つで、一度に生む子どもの数も1、2匹と、増えすぎないように環境に適応させたと考えられる生態であること。ヤマネコは水辺の生き物も捕食するため海辺にのみ生息すると言われるが、実際にはどうなのか。万が一事故を起こした際の島民や島外への影響など、これまでに入手した情報の真偽も聞いてみた。生き物を一種守るだけでも、そこには人間の群像劇が繰り広げられる。西表に来てから、ヤマネコを巡るあれこれで考えさせられることが多かった。そのことを一挙に解決できる手を見出せる人がいたらいいのに、わたしも含めて大した力にはなれそうにない。本来はヤマネコの生活圏と人間の生活道路を完全に分けるのが一番いいのだろうが、そのための工事ですら自然を破壊するだろうし、それらが考え尽くされた上で、側溝の形状の工夫やヤマネコが道路を横断しないで済むように地中トンネルが設置されたりしているのだと思い至る。わたしは今まで試みられた手段をなぞって一周したに過ぎない。当面は交通事故に氣をつけて速度を落として通行するしかないのだな。獣医さんに確認すると、展示物の写真は撮影してもいいそうで、堂々と写真を撮って保護センターを後にした。おまけで、ヤマネコを治療する保護施設の獣医になった経緯なんかも聞かせてもらった。色々と貴重な話を聞くことができて、大収穫だった。ヤマネコを探しているのだと伝えると、会えるといいですねとにこやかに返してくれる。カンムリワシは雨上がりに電柱の上で羽を乾かしている様子をよく見かけると言うので、そちらも期待することにする。

 さて、ヤマネコ探しはこれからが本番だ。

 宿に戻る方向で、ふと由布島に立ち寄りたくなった。理由は何もないけれど、看板に沿って海側に右折した。日中の水牛車を目当てに観光客でごった返す由布島には用はなかった。陽は西に傾いている。夕暮れ時の由布島には人も水牛車もいなかった。波打ち際に近付くと、静かに潮が満ちてきていた。小さな魚達が満ちる海面に合わせてはぜる音、ヒルギ達の根元に潮が上がってくる微かな音。遠くに夕焼けに佇む由布島とそこに渡る無言の電線の群れ。まるで異世界に紛れ込んだような錯覚に陥りながら、わたしは宇宙の理を見た氣がした。わたしは潮の干満の時間を知らないが、ここに棲む生き物達は、魚も樹々もその周期に沿って生きている。それは地球の自転と公転に支えられ、宇宙の理の中にある。目の前の景色と宇宙空間が重なって見えた。みんな偉いなあ。地球の理屈も宇宙の理も、生き物達はちゃんと知っているんだ。その真理に心が震えた。駐車場をシロハラクイナがとてててと早足で歩いていた。そろそろ陽が暮れる。カンムリワシも未だ見つけられない。

 陽が落ちると、西表の道路は真っ暗になる。そして、蟹が森から海を目がけて山のように降りてくる。最初は道路に飛び出さないように追いかけ回して逃していたが、次第にその数は尋常じゃない程に増え、手に負えなくなった。原付の照明に切取られた道路には、大量の蟹だけではなく、天然記念物で日本最大のキシノウエトカゲ、あれは多分ハブじゃないだろうかと言う蛇までいる。ヤマネコが出てきやすいように、恐る恐る暗闇の中で原付を道端に停め照明を消して待つ。熊などの危険な動物はいないものの、わたしが暗闇に耐えきれず、長時間佇むことができない。鬱蒼とした森の葉の奥からヤマネコが出てきそうだと期待するが、なかなか巡り会えない。他の目撃情報を頼りに、琉球大学の研究所がある奥まった道にも入ってみたが、そこにも蟹がいるだけで、ヤマネコには会えずに引返す。一人で何をやっているんだろうとまた思う。

 上原港に近付くと、開けた場所に出る。空には夜の主のように威風堂々と上るまん丸い月が掛かり、夜の暗い海の上で金色に輝いている。本当に満月なんだなあと感嘆する。満月を見るのと、その満月の力を体感するのとは、同じようでいて全くの別物である。これだけの潮の動き、これだけの生き物達の移動が月に導かれているのだから。ヤマネコが食べに来て事故に遭わないようにとなるべく蟹を踏まないように心掛けるが、どうしたって踏んでしまい内心大声で騒いでしまう。車では避けようがないため、バリバリバリと蟹を踏んで走り去る車を見送る。ヤマネコの氣配を感じつつも、会うことは叶わず、宿を通り越して西側にある最後の目撃地点を目指す。

 そこは畑の中の農道だった。わたしはそこから更に海岸に降りる道を知らないので、一面の畑の中にある道路の行止まりで原付を停め、することがないので寝転んだ。時計は21時10分を指している。残り時間は少ない。ここに滞在できるのも長くて20分かそこらだ。海が近く、波の音が聞こえる。月が明るく、まるで月の草原に来たかのようだった。サトウキビだったのか何だったのか、畑の草は風に吹かれて絨毯のようになびいている。ヤマネコには会えないかもしれない。ここまで来るとそう思う。でも、きっとこの波が寄せる海岸の近くにもヤマネコが潜んでいるだろう。その光景を想像するだけで、少し心は満たされた。ふと思う。イリオモテヤマネコは特別天然記念物だが、野生での寿命は5、6年と言われる。環境に適応するために雑食で、蟹も蛙も食べる。彼らだって狩の得意不得意はあるだろうし、つがいになれるかどうかにもそれなりの競争があるだろう。それでもこの西表の自然の中で彼らの命を精一杯生きている。ただただ彼らの命を生きている。わたし達人間も動物だから、ヤマネコ達と同じなのだ。顔の美醜とか、何で一番だとか優れているとか、本当はそう言うことは関係がない。今を一生懸命に生きればいい。自分の命を精一杯生きて、命を輝かせて生きればそれでいいのだと。もうそれだけで十分だった。わたしがヤマネコに会えなかったのは、この月の草原でこの思いに至るためだったのだと思える程に、その感覚はわたしを勇氣付けた。

 しばらくして元来た道を引返し、また上原港を通り過ぎて少し森の方に差し掛かったが、ヤマネコには会えず、わたしは制限時間ぎりぎりまで乗った原動機付自転車を宿に返した。

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