西表島二日目は初日の宿を早々に引払い、昨日の「初日でヤマネコを見たおじさん」が引き合わせてくれたご縁を頼りに、今日から泊まる宿に向かう。次なる宿は徒歩数分の場所にあり、早速昨日取付けた約束の車を借りて、おじさんと同じ行程を辿ることにする。人から言われたことに影響を受けやすいわたしは「誰かがこうやって得をした」という話を耳にすると、全く同じように真似をしてしまう。そんな自分にそれってどうなんだと思うが、やっていることは結局人真似に留まるのが人間という生き物だ。
一人旅だから軽自動車で十分で、こんな値段で一日使わせてもらえる幸運を噛み締める。宿で夕飯を用意してもらうことにしたので、食事までには帰らなければならない。お昼ご飯はどこで食べられるのか、そもそも世界遺産に認定されたこの森深い島で食事処がどれだけあるか分からないから、石垣島から持歩いていたあの島バナナとお煎餅などを軽食として用意する。そう言えば、最初の石垣島とは打って変わって、竹富島では食事にお金を出して食に困ることがなかったので、持歩いていた島バナナのことをすっかり荷物と記憶の片隅に追いやっていた。紙袋に入っていて中が見えないが、どうなっているんだろう。バナナを買ってから十日以上が経っている。自分でやっておきながら、こういう時って、袋の中を除くのがちょっと怖いですよね。とにかく、きっと食べ頃は到来しているだろうから、車の助手席に乗せた。
西表島の道路は島の北西から南東にかけての一本の道しかない。北西側は白浜小学校で終わっており、南東側は大原港を更に進んだ畑の中で終わっている。今、調べてみたところ、道路の終焉の地には「ヤマネコ発見の地」として石碑が立っているらしい。まさか記事を書く今になってこんなに重要な情報を見つけるとは。こんなに重要な地点なのに、ガイドさん達との間では、この石碑の存在が話題に上ることがなかったように思う。話題に登っていてもわたしが聞き流していたのか。車があるこの二日目に、道路の南東側の果てとヤマネコ発見の地の確認をしにここまで行くべきだった。歯ぎしりをしたい程、激しく後悔が襲う。次に西表島に行ったならば、ヤマネコ探しと同時にこの石碑まで絶対に行くと、そう心に誓う。話を戻すが、西表島二日目のこの日は、浦内川の遊覧船と、白浜小学校、ヤマネコの生態展示をしている野生生物保護センターを目指しながら、道すがらヤマネコとの遭遇に期待を寄せて出発した。

西表島は八重山諸島の中では一番大きな島だが、車で回るとそれほど時間はかからない。上原港周辺の集落から浦内川までは、確か10分程だったと思う。駐車場に車を停めて、遊覧船が待機する川まで少し下ると乗船場がある。そこから船で上流に向けて川を遡る。軍艦岩という岩場まで遡った後、船はそこから引き返すが、岩場から森の中を歩いてマリユドゥの滝、更にその上のカンピレーの滝まで見に行くことができる。そう言えば、昨日泊まった宿の名前は西表の川の名前だったのか。昨日のヤマネコ発見おじさんの話ではマリユドゥの滝まで歩いたそうだが、湿氣も多い上に足元の岩場は滑りやすく注意が必要だとのこと。その点に注意すれば、マリユドゥの滝まで行って、次かその次の船便で戻ってくることができるということだった。わたしは女性一人で滝までの山道にはガイドがつかないため、今回は船のみとした。
遊覧船では船頭の方が浦内川のマングローブの木々の種類や西表島での昔の生活について解説をしてくれる。マングローブは汽水域(海の塩水と川の真水が混ざり合う水域)に生息し、西表島にはオヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギの3種類のヒルギ科の木が生えている。うっすらとした記憶を手繰り寄せると、確かそれぞれのヒルギ達毎に何となくまとまって生えていたような。船に乗りながらぼうっとしているのも何なので、ヒルギ達や西表の大自然を全身で感じてみる。と言っても、頭の中はヤマネコに会えるかどうか、その奇跡が起こせるか否かでいっぱいだった。
不意に、不思議な連想が頭の中に訪れた。
「この地球は奇跡を起こそうとしている。地球は今、それをやろうとしている。わたしはそれを助けに来たんだよね。地球の次元を上昇させるために、地球に来たんだ。」
そう思うと胸に迫るものがあって、理由もないのに突然涙が込み上げてくる。な、何なんだろう、これは。わたし、何泣いちゃっているんだろう。表立って言うと、妄想の世界にイっちゃっている危ない人なのであまり大きな声では言えないが、2025年の7月問題とか、その辺りにも関係することなのだろうと言う氣がする。そう思っている辺りで撮ったマングローブの写真に、虹色の光が降り注いでいた。
遊覧船は軍艦岩で一時停泊し、更に上流の滝を目指す人は下船した。軍艦岩の周りには、鮎のような名前のよく分からない魚が泳いでいる。わたしは船で乗船場に戻る。下流に進む船の中で、地元で育ったと言う船頭のおじいちゃんの隣にひっついて、色々と話を聞いた。第二次世界大戦後のしばらく後まで浦内川の川沿いにも人が住んでいて、最後の人を迎えに行った話。この辺りは石炭が取れたので、川の隣に昔の炭鉱跡を巡る遊歩道があるから行ってみるといい。そして西表島に生えるサキシマスオウの木の種をもらった。ウルトラマンみたい。この種は川や海に浮いて流れていくと言う。炭鉱跡の遊歩道は林野庁が管理しているようで、元公務員のわたしとしては、各省庁の名前を見ると、国の役所がこんな所まで管轄しているのかと少々興味を惹かれる。炭鉱跡までは、わりかし背が低く細くて若いであろう、明るいマングローブの林の中を行く。そこに流れる細い川をカヌーで漕いでくる人がいる。陸と岸、そんなに距離はないのに、こちらは脚であちらはカヌー、不思議な感覚だ。炭鉱の歴史は昭和初期に始まり、その坑夫の労働は過酷を極めたらしい。そんな歴史もあったんだなと想いを馳せる。帰り道に、オオゴマダラが林の中を飛んでいる姿を見た。とても嬉しい。
駐車場に戻って、いよいよヤマネコ探しを始める。の前に、腹ごしらえをしよう。いよいよ、放置した島バナナの袋を開ける。今まで匂いがしたり蟻がたかると言うことはなかったので、それなりに無事だと思うが、どうなっていることやら。意を決して恐る恐る袋を開くと、食べ頃をとうに過ぎた形の崩れたバナナが横たわっていた。今食べなければ、後はどうなるか分からないぐらいの状態だったので、味氣なく平らげた。銀さんのサバイバルキャンプに参加する直前からそうだったのだが、見知らぬ八重山諸島の旅と初めての目的地も計画もない一人旅に不安が最高潮に達しており、過食氣味になっていた。この時の旅の状況を思い出すとそんな不安は思い浮かばないないのだが、そう言えばそうだったと懐かしい。
さて、まずは島の西の端、白浜小学校まで行って道路が終わる場所を見てみる。その途中にある祖内集落は、安栄観光の当時の課長さんが民俗学的に興味深い土地柄と言っていたので、細い集落の道を這い回って、海辺の御嶽に辿り着いた。今は人も物もないけれど、ここで有名な島のお祭りをしている写真を見たから、きっと重要な場所なんだろう。集落を見るが、何も起こらないし誰とも出会うことがない。そこから更に移動して白浜小学校に着くと、本当にそこで一般道は終わっていた。道路の終わりって、初めて見た。しばし近くの港らしい場所でその感慨に耽るが、特に何もないので来た道を引き返した。今度は島の南東部にある野生生物保護センターを目指す。
ところで、西表島に来る前に石垣港の待合所で竹富町環境協会発行の『しまじま散歩』と言う冊子を見つけた。八重山諸島の主要な島々を漫画で紹介している無料の読み物で、その島の環境名所や名物、自然の動植物まで含めて、見所を紹介している。これが結構島の要点を押さえていて、わたしのように八重山諸島のことなんて何にも知らない者にとっては押さえどころを掴むのに役立った。竹富島の情報でも見落としていた箇所があり悔しい思いをした。そのため、今回はヤマネコと一緒に、この冊子で紹介されている島の目印も一緒に探すことにする。
島の周遊道路は制限速度が40kmに指定されている。また、ヤマネコが目撃された地点ではヤマネコの看板が取り付けられ、「よんな~、よんな~(ゆっくり、ゆっくり)」などと運転速度を落とすよう呼びかけられる。ヤマネコが道路脇から飛び出して来た時などに備えて、交通事故を防止するためである。最初はこの速度を遅いなと感じたが、「もしかしたらヤマネコが脇の森から出てくるかもしれない」とヤマネコ探しに血眼になるにつれて、どんどん追い越してもらいたいと思う程の低速度で走行をしていた。
結局、環境省の西表野生生物保護センターに着くまでの間、わたしはヤマネコに遭遇することはできなかった。野生生物保護センターでは、展示されている説明を隈なく読んだ。ヤマネコが発見されたのは戦後しばらく経ってから、割と最近のことだったんだなと知る。家猫とヤマネコの標本もあり、骨格や体の形状などの比較ができる。わたしが見たのは、恐らく家猫だろう。ヤマネコは絶滅危惧種に指定され、初めて知るイリオモテヤマネコとその存在を巡る種々の事情について、何ができる訳でもないのに真剣に考え込んだ。
帰り道でもヤマネコを探すことを考慮すると、夕飯の時間に間に合うように段々と帰らなければならない。ヤマネコは夜行性だと言う。車は元々22時まで借りられたから、夕飯を頼まずに夜ぎりぎりまでヤマネコ探しをすればよかったと後悔する。
帰り道では、ヤマネコはおろか同じく特別天然記念物のカンムリワシでさえ見つけることはできなかった。













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