翌朝の8時、わたしは上原港のフェリー乗り場にいた。慢性不眠で早起きが苦手なわたしには異例の動きである。
昨夜、ヤマネコ探しが不発に終わり宿に原動機付自転車を返しに行くと、そこにはヤンキー風女子と若主人がいた。「ええっ、今までヤマネコを探していたんですか。」ヤンキー風女児が驚く。うん、見つけられなかったの。私達も宿のツアーで夜間のヤマネコ探しに行っていたんですけど、会えませんでしたよね。そうですね、若主人が答える。そうなんだあ。その後、ヤマネコ探しの感想や探した場所などの情報交換に花が咲いた。
「お姉さん、そう言えば、明日から船が止まるって知っていましたか。」「えっ、そうなのっ。」基本的に天氣予報も周辺情報も確認しないで旅をしているわたしは、この情報がなかったらその後一週間近く西表島に閉込められていた可能性がある。なぜ情報を取らないのか。それは、「天の配剤」を垣間見るためだ。自分が心から歩みたい道を歩く時、全ての物が示し合わされたように必要な時に差し出されるのだと言う。本当にそんなことが起こるのか、いや起こるのだとどこかで確信しているから試していた。運を天に委ねるつもりで。西表島でのわたしのヤマネコ探しがひと段落して束の間、まるで図ったかのように全く把握していなかった船便の情報が飛び込んできた。何でも、台風の影響で海が荒れるため、少なくとも上原港発の船便は明日から欠航になる流れらしい。八重山観光フェリーは安全運航志向なので、波が上がるとすぐに止まる。故に、この時点で既に明日の全便運休が決まっている。残すはもう一社の安栄観光が運航するかどうかだと。それでも午後の便は確実に欠航するらしい。午前中の二便が出るかどうか。もし運休になれば、約一時間かけて上原港から大原港までの臨時バスが出て、それに乗って大原港から出港することになる。運航状況の決定は明日、朝6時に安栄観光のウェブサイト上で。いずれにしても早起きはしなければならない。留まるか、否か。
髪を一部金髪に脱色し残りを淡い緑がかった茶色に染めたヤンキー風女子は、イタリア語習得のためにイタリア留学をした後で、これからしばらくして英語習得も兼ねてオーストラリアにワーキングホリデーに行く計画らしい。その間、日本の離島などを旅しているとのことだった。わたしは古き良き昭和の価値観で生きている女なので、髪を明るい色に脱色したり奇抜な配色にしている時点でヤンキー風に見えるのだが、弟や親戚の子に聞くと今時そんなのは当たり前らしい。そんなわたしは、黒髪の両親の元に生まれた天然の茶髪、地毛である。髪も肌も生まれ持った天然の色と艶が一番美しいと思うので、黒髪に生まれたら黒髪で過ごしていると思うが、髪色はこの時代に沿っている。
話を戻す。彼女は帰りの飛行機の日程が決まっているので、明日石垣島に帰れなければ航空券を取消すか日程変更の手数料を支払うか、いずれにしても支払いが発生する。しかし、こんな状況ならいっそのこと飛行機を延期して、島内周遊道路の西の果て白浜港から更に船で移動する船浮集落に行こうかとかなり激しく迷っていた。冒険をするのか、安定と予定調和を取るのか。
理由はないが、わたしは明日から帰りの飛行機までの約一週間は石垣島の宿に泊まることを決めていた。だから、何が何でも明日石垣島に帰るつもりだ。元々は午前の二便目に乗船する予定だったのでこんな夜更けまでお喋りに興じてしまっているが、この状況では明日6時に運航状況を確認し、最善の策を取って朝一の便に乗ることも検討しなければならない。
「お姉さん、決めた。あたし船浮に行きます。」おおお、そっちに行くのか。何が何でも台風を避けて石垣島に戻るわたしからは、大博打に打って出たように感じる。でも、彼女のその勇氣と決断力は見ていて頼もしかった。これからしばらく海の中に閉じ込められる西表島で、いい旅をし、いい時間を過ごせますように。それから「お姉さん、何をやっているんですか。お金はどうしているんですか。」と身の上を聞かれ、今後の浅い金銭的な目処を話すと「心配だなあ」と年下の女子に心底心配され、色々と諭された。見た目とは違って他人思いで優しい彼女の氣持ちにありがとうを言い、そして、また互いの健闘を祈って部屋に別れた。
そんな経過があって、わたしは今朝6時に運航状況を確認し、最も確実な最初の便に乗るべく上原港にいた。港の受付窓口には、往復券購入客の優先的乗船になる旨を告知する社員の声が響いている。わたしの手には安栄観光の復路用乗船券が握られていた。港に来る前に朝食の購入に寄った商店で見かけた4人組の女の子達は、昨日窓口で聞いたら復路券の購入はいらないって言われたのにと歯痒そうに話合っている。あの時、安栄観光の窓口で当時の課長さんと話していなかったら、わたしは安栄観光贔屓になっていなかった。八重山観光フェリーが安全重視で運休しやすいことなどこれっぽっちも知らない。昨夜、あのヤンキー風女子と会って話していなかったら、台風のことも今日からの船の運休のことも知らなかった。そして何氣なく、念の為にと思って石垣港で買った往復乗船券にこれまた助けられている。
全ての巡り合せが石垣島への帰り道を照らしてくれている。
これが天の配剤なのか、単なる流れなのか。読む人によって意見は分かれるだろう。そのどちらでも良い。けれどもわたしには、あらゆる出来事の断片が繋がって、石垣島に押し戻すうねりが起きているように感じられる。
だから、わたしは帰る。石垣島へ。
船は満員で、大揺れに揺れた。先程の四人組の女の子達が最後に乗船してきてわたしの隣に座ったので、今朝のいきさつを皮切りに、色々とお喋りをした。わたし達の席からは操縦席の船長さんが良く見えて、あの丸い船の舵を右に左に思いっきり回して船を進ませる。その度に船の底は波を打って激しく上下に揺れ、わたし達はいちいち叫び声を上げた。あんなに舵を回して意味があるんだろうか。素人のつぶやきは心の中に留める。もう一方の隣の席に座った男性はダイビングからの帰りで、今日の夕方の飛行機で本州に戻る予定だと言う。その男性もこんなに揺れる船に乗るのは初めてですねと、にこやかな中に心許なさを覗かせながら話す。大騒ぎの船内から、段々と見慣れた港の建物が見えてきた。
石垣島に戻ってきた。
何度も石垣港から船に乗ったのに、桟橋に佇む具志堅用高像を見たのはこれが初めてだった。ここにいたのか。石垣島出身の英雄が両手の拳を空高く掲げた金色の像を囲んで、わたしは4人組の女の子達と写真を撮った。
それからまた石垣港近くのユーグレナ市場をぶらぶらと歩く。石垣島に戻ってきてから、土産物屋の商品がよく目につく。竹富島の宿の主人が言っていた言葉を思い出す。「旅は経験と時間にお金を使った方がいいですよ。」そしてこれまでの日々の記憶が蘇る。
波照間島で見た天国のような海と、三線の音がたゆたう昼下がりのまどろみ。シュノーケリングで覗いた海中の天上の世界。旅先での中途半端な一期一会の出会い。
竹富島で見た珊瑚の白い道、灰色の珊瑚の石垣と赤瓦の家々。宿の主人のゆんたく。星空と八重山の蛍。
西表島で原付から肌で感じた大自然の氣配と、雨雲の前に架かった虹。人氣のない由布島の夕暮れ。ヤマネコを探した月の草原での自然の息遣いとの一体感。上原港からぎりぎりで乗船できた大揺れの船内でのお喋り。
わたしの中にはこの二週間で旅をした時間が詰まっていて、離島の旅を終えることを少し残念に思っている。見知らぬ景色に興奮を覚える傍らで、お金を沢山使っていることに不安を感じつつ、先行きの見えない自分の旅の時間に不安を覚えてどか食いをしながら過ごした。それでもこの八重山の島々を回り、旅をしてよかったと思う。
それらの経験とそこに積重ねられた時間は、どのお店でも売られていない、お店で売られているどんな商品にも代えられない、大切な大切なわたしのお土産になっている。今のわたしには物は必要ない。
「旅は、経験と時間にお金を使った方がいい。」
全くその通りだった。
わたしは八重山の旅で宝物をもらったのだ。


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