ゆんたく(竹富島①)

 波照間島から石垣港に戻り、石垣島で一泊の宿を得た後に次の行き先に決めたのは竹富島だった。その理由ははっきりとは思い出せないが、遠方の波照間島との距離から、石垣島から最も近い竹富島とで距離の釣り合いを図って安心したかったからかもしれない。また、石垣港でよく利用していた八重山そばのお店が芸能人や有名人が通う店だったようで、わたしは遭遇することはなかったが、彼らが石垣島から足繁く通う観光地が竹富島だったから、どこかで行こうと暗に候補に挙げていたように思う。

 竹富島は石垣島から距離にして約6km、船で15分ほどの距離にある。船の便数も多く、行きやすい。空色に染まる空、真っ白な砂の道と珊瑚の石垣、赤瓦の屋根、色鮮やかな花々、沖縄の伝統的な集落の中に佇むことができる島だ。島までの所要時間が短いので、石垣島から日帰りで観光する人も多いらしいが、島内には宿も多く、価格が高い所から安い所まで比較的選択肢が多い。波照間島の宿を予約した時と同様に、電子端末の地図から写真と価格を照らし合わせていくつか電話をし、一泊二食付きの一万円前後の宿は満室で取ることができなかったため、格安旅行のわたしにぴったりな素泊まりの相部屋の宿に落ち着いた。今回は食事処やお土産物屋、集落の地理はあらかじめ地図で確認をしていた記憶がある。

 二つ目の島となれば、石垣港の乗船場にも少し慣れてくる。出航して竹富島港に到着し、港の様子や土産物屋に置いてある商品などをじっくり見たいとのんびり過ごしていたところ、「バスが出ますよ。バスにお乗りの方はご乗車ください」と男性が大きな声で乗車を促していた。とは言え観光地の島だからそれなりにバスの本数もあるのだろうと、わたしは確かめもせずに鷹を括っていた。土産物屋を物色し、港に展示してあった「実は食べられる八重山の野草」という手作りの資料を見てからバスの時間を調べたら、次のバスは遥か後の時間にしかないことを知って少し後悔した。バスは船の到着に合わせて利用者の多い時間帯にしか動いていないんだ。地図を見ると、集落までは恐らく徒歩で歩ける距離と思われたので、朝食をろくに食べていない空きっ腹の体と荷物を引いて歩くことにする。舗装されているとは言えでこぼこ道の歩道、大概は坂道の上の高台にある集落、到着時間と距離が不明な道のりで空腹状態を抱えて歩くには根氣が要ったから、自分を励ましながら歩いた。

 集落の入口に目当てのカフェがあり、少し早いが入ってお昼ご飯を食べた。波照間島での教訓を生かし、竹富島では自分の拘りを捨てて入りたい飲食店には片っ端から入ろうと決めていた。砂糖断ちもしていたけれど、お品書きに惹かれてマンゴーパフェなども注文した。腹ごなしをすると、特にやることもない。時間だけが沢山ある。やることを探して取出したのは書道で習っているペン字の練習道具だったから、どこにいてもやろうとしていることは結局変わらないんだなと自分が可笑しかった。

 赤い瓦を漆喰(だったと思う)で固めた伝統的な沖縄の屋根、屋根の上に乗っている焼き物のシーサー、強い南国の日差しに生える濃い空色をした空、日除け用の大きな傘とその影でやや温度が落ちる風。夕方までその景色の中でのんびり過ごした。

 集落は外からの道路を一つ入った所に集まっている。宿は集落の中程にあり、少し歩いた。白い砂地の道は目には麗しくても車輪のついた荷物を引くには歩きづらく、徒歩の旅行者向けではない。宿について指示された電話番号に連絡すると、しばらくして中から肩まである髪の毛はモジャモジャの、日に焼けて、見た目にも麗しいとは言えない熊のような大柄の男性が出てきた。それが今晩から連泊する宿の主人だった。だ、大丈夫なのだろうかと一瞬たじろいだが、氣を取直して心を決める。何たって島内最安値なんだから。宿の説明は色々と細かくて、外観とは裏腹に内装は女性も好むようなお洒落なしつらえだった。見た目とは違い、割と感度の高い人なのかもしれない。トイレに入ったら、日数的に来るはずのない生理が来ていた。

 宿の主人は、夕方になったら海に行って日没を見ると言う。そして、今夜はもう一組泊まる客がいるらしいが、宿に来るように伝えたのに違う場所にいると言う。そのことを聞いて、わたしは内心イラッとした。自分の頑なな価値観に氣づく瞬間である。そうこうしていると、夕日を見るために海に連れて行かれ、宿の主人は服のまま海に入り、この夕日が素晴らしいんですよとか何とか、こう言う人でもこんな風に自然が素晴らしいって感じるのねと言うようなことをよく話した。海から見る夕日が綺麗なんだと言われるので、生理中だから入れないと答えたら、血を流しながら入ればいいじゃないですか、ははは、なんていう調子で、わたしは勿論そんなの嫌ですよと答えた。でも、毎日近くの海に入って日が沈む景色が見られる生活は素敵だ。宿泊予定のもう一組は新婚のご夫婦で、缶チューハイとかお酒の空き缶でいっぱいになった大きなゴミ袋を抱えて海辺にいた。でろでろに酔っ払っていた。

 やっぱりここの宿にも食事処の連絡先一覧の貼り紙があり、特に夜ご飯は食いっぱぐれないように予約をして確保するよう注意される。特にコロナ禍以降は、店を再開したものの人手が戻らず、営業できない店も多いのだと言う。そう言えば、わたしは銀さんのサバイバルキャンプの最終日に市場で島バナナを買ったものの一向に熟さず、大きな房を持ち歩いていた。一人サバイバルキャンプ1日目以降の食事にするはずができず、もちろん波照間島でも食べられず、一体わたしはいつまでこのバナナを持ち歩けばいいんだろうとツッコミを入れつつ島を渡っていた。まるでバナナの旅に付き合わされているような不合理さを感じる。そのぐらい、島バナナは熟すのに時間がかかるらしい。この日の夕食はどうしたのか忘れたが、翌日の夕飯は島食材を使ったレストランをしっかりと予約した。

 夜は、沖縄や八重山諸島で「ゆんたく」と呼ばれる宿の主人や宿泊客がお喋りをする時間で、この宿の主人はこのゆんたくを殊更好んだ。時間になると「ゆんたくやるよお」と言いながらのしのしと廊下を歩く。話を聞くととても面白い人で、無精髭で熊みたいな風貌からは想像がつかない程色々な商売を展開しており、人とは違う独自の経験が豊富だった。仕事を辞めて一時はキャンプをして全国を放浪していたこと、キャンパーと呼ばれる世界の人達の話、その中にはサトウキビ畑や工場で季節労働をしていたり、次はヨーロッパに登山に行くからと英語の勉強をしていたりと実に様々な人達が多様な生き方をしていたらしい。わたしは素性を聞かれて半ば人生相談になってしまい、「やりたいことをどうしてやらないんですか。やりたいんだったら、やればいい」と諭された。本当にその通りだと思った。もう一組の新婚夫婦は、奥さんがブラジル人で、旦那さんが何と省庁勤めの方だったが、物静かに話を聞いているだけで、宿の主人に話を振られてようやく身分を明かした程控え目な人だった。ご夫婦が早めに就寝した後、宿の主人が夜の集落の中で八重山の蛍を見せてくれた。雌雄の別は忘れたが、ここの蛍は本州とは違い、幼虫の形のまま成虫になるそうだ。つまり、飛ばない。信じられなかった。同じ日本なのに違う世界に来たようだ。月明かりと蛍の光がとても綺麗だった。

 色んな世界があって、そこに好き勝手に生きている人達がいる。学歴や職歴など関係なく、人目も氣にせず自分の目標に向かって生きている。我ながら、何も知らないのに面白い宿を選んだものだと思う。本当に人は見かけにはよらないし、やりたいことのために生きていいんだとそう教えられた竹富の夜だった。

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