公務員退職の体験談③

体験

 うさこの幼少期、就職してからのことに続いて、今日は退職を決めた従兄との再会から退職までの日々を綴ります。

 従兄との再会後のことについては、反省することややりきれなかったことが多くて、思い出しても泣けてきます。

 この再会した時の気持ちをずっと忘れずにいられたら、うさこの対応もまた変わっていたんじゃないかなと色々と反省するのですが、その話はまた後日に。

 本当に見えない運命という力が、退職に向けて背中を押してくれていたような、そしてうさこ自身を試しているかのような日々でした。

めぐりあわせ

 もうさすがに辛い。

 体調も低空飛行を続けてきた。鼻の中が膿んでいた。

 辞めたいかもー。

 そう真剣に思い始めた10年目に、音信不通になっていた例の従兄弟から両親に連絡が来た。

 末期がんで余命宣告をされたとの内容だった。

 うさこは、大人になった時にこの従兄弟に会うことを目的に仕事をしていた。どうしてこんなに必死で仕事をしているのか気づいていなかったけれど、それは、次に従兄に会った時に、問題だらけのうちの親戚の中で、少しでも力になれるようにすることだった。

 そして、従兄のような子どもを少しでも減らしたかった。

 ずっと音信不通だった従兄は、とても優しいお兄ちゃんになっていた。

 小さい頃にお世話をしてくれた人が、お母さん代わりになってくれていた。

 従兄は実の母親ですごく苦労をしたから、育てのお母さんに会えて本当によかった。

 従兄は、家族がみんな望まぬ形で亡くなってしまって、自分も親戚にたくさん迷惑をかけたから、生きていてはいけない人間なんだと思って、うさこ達一家への連絡を避けていたと言う。

 身寄りがいないから、自分が亡くなった後のことを唯一連絡が取れる親戚であるうさこの母に頼みたいとのことだった。

 せっかく会えたのに、従兄は死を宣告されている。

 がんがなければ、会えなかった。

 でも、こんなに悲しい再会はなかった。

 ぼろぼろ泣いた。

 そしてうさこも考えた。

 死の淵に立たされた従兄の隣で、もし数ヶ月以内に死ぬとしたら、うさこは本当にしたいことをできているだろうか。

 もし死んでしまうとしたら、うさこは本当は何をしたい?

 心は決まった。

 従兄との再会。

 これが最後の一押しだった。

    ーー人生では、必要な出来事が機を図って提示されるーー

退職への葛藤

 それからも、自分の中での葛藤は続いた。

 中堅のうさこが抜けることでの職場の負担や周囲の反応を思うと上司にはなかなか切り出せなかった。

 何ヶ月も、何ヶ月も悩んだ。

 今、うさこが抜けたら職場としては中堅職員の喪失となるので、それなりの損失になるよな。

 辞めるって言ったら、周りからどう思われるんだろう…。

 でも仕事を続けるのは辛い。

 朝もいつもぎりぎりにやっとやっと起きていて、時々有給を使いながら気を紛らわせて、何とか体に言い聞かせて出勤した。ずうっと悶々としていた。

 心と体は繋がっているんだなと実感できる位に、葛藤が深まるほど体調も下降していった。

 早く上司に言わないと、全体の人事に影響して辞められなくなる。

 でも、みんなの反応を考えると、言い出せない。

 いつ、誰に、言う?いつ、誰に。

 誰から打ち明けよう。

 どうしても朝起きられなくて、2時間休みを取った日に、同じ女性の課長にやっとの思いで辞めたいと思っていることを打ち明けた。

 すごく引き止められるかなと思ったけれど、意外に「半々だ」と言われた。一緒にやってきたのに辞めちゃうのと言う気持ちもあるし、自分の人生だから、思った通りにやるのがいいと思うという気持ちもあると。

 結構、ほっとした。一つ、関門を通過した感じだった。

 うさこは独身で当時彼はいたけど、結婚の予定はなかった。そのことを知っている人もいた。

 「結婚するの?」「いや、そういう訳ではないんです。」

 周囲にはよく分からないうさこの転機であったことだろう。

 その後、助言を受けた通りに、順番に直属の先輩、直属の課長、その上へのうさこの意思を話した。本当に、人事的にはぎりぎり…をぎり、越えていた時期だったんだろう(笑)。

 本当に、上司の方々には申し訳ないと思う。

 人事的に差し迫っていた時期だったから、退職はすぐに決まった。

 本当に、退職願い届けを書いた。本当にこういう書類があるんだなあ。

退職が決まってからの怒涛

 退職することが職員会議で周知された。

 でも、それなのに、仕事が怒涛のように雪崩れ込み、難しい案件がぎりぎりで浮上した。

 新しく持ち込まれる複数の案件(しかも重いし)、年度途中でくすぶっていた物が何故かここに来て炎上した案件、まとめようとしてもぐずぐずとうまくまとまらない案件。

 直属の先輩は、うさこが生意気に先輩の意見に反する主張をしたり、やんわりと譲らなかったり、突然辞めたりするので、気が立っているご様子である。そこに加えてぎりぎりで未解決の案件を抱えている物だから、ぴりぴりしていて助けてくれない。

 何とか、自分で乗り切るしかない。

 平日は通常業務で手一杯。

 土日祝日は過去に処理しきれていない事務処理で全部出勤。

 そしてさらに、うさこの担当事例で休日返上で対応しなければいけない案件が急浮上!!!

 おいいいい!!

 なぜか休日も出勤して対応することになったりした。

 2月。今は2月ですよ。

 退職は3月末日……。

 本当に辞められるのかと思う日々が続いた。

 でもこれでも終わらない。出張からの帰りに、軽い追突事故ももらった。勤務史上だけでなく運転史上でも初の交通事故。信じられない(笑)。

 後輩も流石に「うさこさん、すごいですね…。」と心配そうに言ってくれる。この子が一番手伝って、助けてくれた。ありがとう。

 報告書作成で時間が削られる。

 全然関係ないけど、この追突してきたおじさんが「俺、全然ついてないんすよ!」を連呼する方だった。…だからだよね…と言う代わりに、斎藤一人さんの動画を紹介しておいた。うさこへの追突を機に、少しても人生が好転してくれればいいな。なぜか、お節介を焼くうさこ(笑)。

 後日、職場に菓子折を持って挨拶に来たおじさんは、それでも「俺、全然ついてないんすよ!」を連呼していた。穏やかな上司が「それ、こちらに関係ないしね。」と苦笑いしていた。

 自分でも可笑しくなるくらい、本当に盛り沢山だった。

退職の日

 そして。

 何とか退職の日を迎えた。

 今まで生きてきた中で、うさこは学校等の社会に区切られた「卒業」に実感が湧かないことが多かったけれど、今回は自分で区切りをつけられた。

 自分で決めた卒業だ。

 休日返上で書類をまとめていた時に、過去にまとめ切れなかった物が状況を見通すように整理できることが何度もあった。案件の押えどころがすぐに見えるようになっていた。

 ここ数年でうさこが成長していたことを実感した。

 全然完璧じゃないけど、この辺で一旦卒業してもいいよね。

 自分でそう感じられた。区切りがついた。

 親は絶対に反対するし、心配するので、今も話していない。

 上司は「もう大人だからね。」と温かく(と、個人的には感じた)受け止めてくれた。

 弟の鯛めしは、うさこの選択を応援してくれている、体になっている(笑)。

 自分の意思で人生の方向性を決めたら、他の人とはかなり異なる選択をすることになった。

 けれど、きっとこれが本来のうさこなんだ。

 本来のうさこの声に従って人生の選択ができたことで、今は少し自分を誇りに思う。

 新たな人生の門出を迎えて一歩踏み出した今、みなさんとの出会いがあることを幸運に思います。

 それと在職中、苦境に立った時にうさこを支えてくださった方々がたくさんいたのも事実です。その方達がいなかったらうさこはここまで来ることができなかったと思う。

 改めて、心から感謝の意を表します。ありがとうございました。

 長い長いうさこの個人的な来歴を、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 これから広がる新しい世界が楽しみです。

 では、また!

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