レムリアの記憶と能力の開放①

スピリチュアル

 うさこはスピリチュアルなことへの興味が強い。

 子どもの頃は意識していなかったけれど、現実という地面に足がついていないなという感覚は持っていた。

 わたしは何だかこの現実から少し浮いているなっていう気持ちがずっとあった。

 だから、現実に適応するための手段として、子どもの頃は本当に超の付く優等生を装っていた。

 そうしていれば大人から褒められて、怒られたりすることなく身が危うくなることなく暮らせる。

 あやふやな現実の中で、そうやって自分の立ち位置を確保していた気がする。

 一方で、よく失敗もした。

 「お姉様は、一見しっかりしてそうなのに結構抜けているのよね。」ピアノの先生によくそう言って呆れられていた。

 現実生活をなかなかうまくやれていないな。

 子ども心にいつもそう思っていた。

わたしの魂は今のわたしとは別の存在

 小さい頃の記憶で、「このままいくと幽体離脱みたいに現実から離れて意識がどっかに行っちゃうな」という体験をしたことが2回だけある。

 小学校高学年と中学生の時の2回だったと思う。

 夕暮れで少し暗くなった家で、洗面台の前に立っていた。

 ふと、内観していたら、

 「わたしは今の見た目で今ここにいて、うさこをやっているけど、

  本当のわたしは今のわたしとは別のわたしだ。」

 そんな考えが浮かんだ。

 「うん、多分そうだ。そうなんだ。」

 そう感じた。

 でも、その感覚を掘り下げていったら知らない所に行ってしまいそうで、

 現実に戻って来られなくなってしまうんじゃないかと思った。

 だから、すぐにその感覚をかき消した。

 2回目の時は、「またあの時の感覚だ」と思って、同じようにかき消した気がする。

 このままこのことを考えていたらまずい、現実からかけ離れてしまう。やばいやばい。

 そう思ったことは記憶にある。

 そしてこの感覚に陥ったのは2回だったということも。

レムリアの記憶からの解放

 大学4年の時に、スピリチュアルに興味を持つきっかけとなった出会いがあって、そこから書籍やインターネットで興味を持った人の情報を追いかけていた。

 神社に行ったり、お守りを大量に買って悪いエネルギーから身を守れるように持ち歩いていたこともある。

 同じスピ仲間でも、鞄や手帳から溢れ出てくるお守りを見て、

 「さすがにそれは危ない人だと思われるよ」

 って笑われたりした。

 スピリチュアルなことに対して否定的な人と仲良くなったり、あまりにもスピリチュアルなことに入れ込みすぎて、現実で大きな失敗をして、一時はスピリチュアルと適度な距離をとったほうがいいのかなと思ったこともあったけれど、結局それは無理だった。

 そして、最近も並木良和さんや矢作直樹さん、MOMOYOさん、OWSの「宇宙人は小学〇〇年生シリーズ」のそうたくんなど有名な方の動画はよく視聴している。

 そんな中で、最近関連動画で上がってきたこの話を聞いて、びびびっと来てしまった。

 https://youtu.be/359jUeao03c

 Chie ArtさんのYouTubeチャンネルで、レムリアの記憶を持つ女の子との対談音源だ。

 引き込まれるように聞いてしまった。

 こういう話を聞くのが大好き!

 =続く=

 

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