女にとって、生理用ナプキン事情は重大な問題である。
なぜなら陰部に当てるナプキンで体調が変化するからだ。これは女性でも体感がある人とない人とがいると思う。
わたしがどうしてこんなにナプキンに拘るようになったのかと言うと、体は体に触れる素材を感知していて、その素材によって強度が変わることを古武術教室で知ったからだ。伊藤先生は、自分を変えるのであれば、精神からよりも体からの方が早いと仰る。それを体感すると、そうだと思う。頭であれこれこねくり回しているよりも、体に聞いたら、体を変えたら一発で答えが出る。その現実を自分の体で目の当たりにしてから、肌着や寝間着、可能であれば服もできるだけ自然素材100%の物を身につけるようになった(とは言え、下着は見た目重視である)。心地良いと言う感覚を、体は頭よりも感じ取っている。そんな体験を経て体の感覚に注意を向けるようになってから、わたしのナプキン選びは変わったのである。
今回はちょうどサバイバルキャンプに来る前に生理が終わり、石垣島で三週間過ごしてもぎりぎり何もなく過ごせると踏んでいた。体ってすごいね、さすがだわ、わたしの予定を読んでくれていると褒め称えていた。だから、竹富島の初日で生理が来たのは青天の霹靂だった。前回の生理から二週間程で次の生理が来ることは通常考えられないが、八重山の旅で心身に何らかの変化を感じて排毒の一環として起きていることであれば、歓迎すべきことだろう。
だが、そうなのだ。全生理日程を乗越えられる程の準備はしてきていない。何とかしてナプキンを入手せねばならない。しかも体が嫌と言わない物が必要である。わたしは以前、自然派ナプキンに変えた後に某大手企業が販売するトップシートがオーガニックコットンだというナプキンを使って夜中に安ホテルで吐き気を催し、同時にその隣室でおじさんが酔っ払って吐いており、自分の吐き氣とおじさんの騒音とで二重に苦しんだことがある。だから何としてでも既製品は避けたい。ここに来てナプキン問題が浮上するとはー。
実は昨日、宿でアルバイトをしている女性と出くわして事情を話した。彼女は観光地のホテル等でアルバイトをしながら滞在すると言う働き方をしていて、親切に自前のナプキンを下さると言う。でも綺麗に並べられた彼女のナプキンはやはり市販品で、わたしが使いたい物はない。できたら愛用しているオーガニックナプキンがいいが、それは販売店が限られていて、しかもその店舗を調べる術がない。一方、次善の策として使用できる自然派ナプキンは全国の取扱店が検索でき、石垣島にも売っているお店があることが分かった。
ナプキンのためだけに船代をかけてわざわざ石垣島に戻るのか。いやしかし、体調を損ねることはどんな利益にも勝る上に、失ってからそれを痛感するような事態が生じたら、後悔することは間違いない。
昨日を竹富島の徒歩散策に充てたのは、その葛藤と苦悶に対する答えを見出すためでもあった。島内を探し歩いた結果、わたしが探しているナプキンを置いている店は無いようだとの結論に至った。宿は、主人の人柄が面白いのもあり、一泊延泊することにした。一度、石垣島に戻ろう。
よって竹富島三日目の今日、わたしは石垣島へ往復する。今回は、港まではバスに乗ろうと心に決めていた。バスは事前に予約する必要があり、乗り場を探すのにも少し苦労した。宿の主人が見当たらず、宿泊していた常連客の男性を恐る恐る捕まえて乗り場の場所を聞く。分からないことだらけで何だかどきどきするが、どこかでこれが旅の面白さだと喜んでいるわたしもいる。バス停は初めていく場所にあり、バスは予定通りに到着した。バスで港に戻れるなんて、初日を考えると自分がえらく成長した氣になった。
無事に竹富島から石垣島行きの船に乗り、石垣港から目当ての店を目指す。何度目かの石垣港の景色だ。わたしを諭してくれたご夫妻のカフェがあるユーグレナ市場を通り過ぎる。徒歩で行ける所にそのお店はあった。助かった。ここなら仮にキャンプ等で自炊をしたとしても、調味料を揃えられるななどと、別な旅の想定をしてみる。目的の品を入手して、石垣港に向かう。その途中で、八重山諸島に生息するオオゴマダラという大型の蝶々を見た。
白地に黒の斑と筋模様が入った羽根を持ち、恐らく手の平ぐらいの大きさがある。大型故か飛び方が独特で、他の蝶々と違いふわりふわりと空氣に乗るようにゆったりと飛ぶ。八重山諸島に来てから何となく氣になり、昆虫が好きでもないのに探し始めていた。いつだかのゆんたくで、宿の主人に竹富島の動物について色々と聞いた。コノハズクとアオハズクと言う二種類のフクロウがいて、アオハズクの方が珍しいことやその鳴き声について。また、島に生息する果物しか食べない大型のコウモリのこと。オオゴマダラは石垣空港内に幼虫が見られる施設があるそうで、この蛹がプラスチックのような質感でぎらぎらの黄金色をしているのだと言う。竹富島では見ることができておらず、こんな建物ばかりの街中で見つけたのが不思議である。それでもここで出会えて感動した。見たかった蝶々だから。
また少し歩くと石垣港の近く、石垣市の中心街の交差点の一角に「7.30」と書かれた石碑のような物がある。今までは氣に留めずに通り過ぎていたが、時間があるので近づいてまじまじと説明を読んでみると、それは沖縄返還に当たり、道路が右側通行から左側通行に変わった日の記念碑だった。そうか。こちらもそのように時代に振り回されたのか。米軍による沖縄占領の歴史を肌で感じた。こちらも色々な感情が斑らになって船に乗る。今日は竹富港から集落まで、手堅くバスに乗った。
集落に戻ると、まだ少し遅めの昼食に間に合うので、車海老そばのお店に行く。しかしここは店主の都合で何日か休業していた。出たあ、島時間。波照間島から感じていたが、客商売なのにお店側の都合で休んでしまえるのが離島であり、そこが島に住む人々のいいところだなと思う。自分の時間を自由に生きている。利益最優先ではない心のゆとりがある。竹富島では車海老の養殖業が行われており、その車海老がごろごろと乗った車海老そばだそうで、それが食べたかった。だが致し方ない。ここは竹富島だ。島の人の精神を受け入れよう。と言うことで、目的地を変えて人氣店のらふてー(豚角煮)丼を食べた。ここに島特産のピイヤーシと言う島胡椒をかけて食べるのがとても美味しい。辛味は少なく、特有の香りが料理に華を添える。観光らしい食事をしている。大満足である。道に咲く花々が、鮮やかで美しい。
宿に戻ると、相部屋に宿泊客が入っていた。わたしが広げた荷物は二段ベッドの下に押し込まれていた。同室の客は航空会社に勤める客室乗務員で「オーナーが『入れちゃえ』って言って、あなたの荷物をしまっていたわよ」と可笑しそうに言ってきた。あの開けっ広げの荷物を見られたのかと思うと内心恥ずかしい。相手も旅慣れていたため、そのまま談笑する。わたしは子どもの頃、人前に顔を出すのも恥ずかしく思う人見知りだったが、前職が相談業務で多様な方々とお話しする機会が多く、氣が付いたら初対面の人とでも調子を合わせて話すことができるようになっていた。人見知りだったと言っても、今や誰も信じてくれない。人の話を引き出すのが上手だねと言ってもらうこともあるが、それは前職での賜物だ。話の聴き方、話の合わせ方と言うものがある。話が弾み、その日の夜は同室の女性と近くの食事処に行った。顔見知りのカフェの店員さんが夜は店の手伝いで働いていた。幸いにも席はすぐに空けてもらうことができ、ゴーヤのちゃんぷるーや餃子を食べた。竹富島最後の夜は、ゆんたくの代わりに旅先での一時の縁を楽しんだ。お会計を済ませて帰ろうとすると月下美人の鉢が見送るかのように置いてある。大きな花が咲いている。月下美人の花を、人生で初めて見た。
- 幼虫はキョウチクトウ科の毒草であるホウライカガミを食べて育つため、毒を持っていて色がはっきりしている。ホウライカガミはヤギが食べると死んでしまう程、毒性が強い。
- 蛹は黄金色になる。外敵の鳥は金属光沢が苦手なため、この色で身を守れると言う。
- 蝶々としては日本最大級で、東南アジアや日本の南西諸島に広く分布する。
- 2000年には、約6kmある石垣島から竹富島間を渡っていることが分かった。




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