『告白』|両親との和解のその後(わたしを織りなす物語⑧)

随筆

はじめに

 告白とは。

 広辞苑第六版によれば、「心の中に思っていたことや隠していたことをうちあけること。また、そのことば」。

 いっとき独自の表現で話題になった三省堂書店の『新明解国語辞典』では、「[他人には言うまいと隠していたことを]打ち明けて知らせること」とある。

 ちなみに、異性に自分の好意を伝える「告白」は日本独特の風習であり、欧米諸国ではあまり一般的ではないらしい。

 さて、今日はそんなわたしの「告白」の話である。

『告白』

 俗に言う「カミングアウト」。

 自分の意識と体の性別が一致しない場合や、同性愛者が自分の両親にその事実を告げる時に行われる告白を指す場合が多い。

 近頃わたしは、男性として生まれたけれども、心は女性である方のインスタグラムに夢中になっていた。

 女性の顔に整形することへの葛藤、女性ホルモンを注射したことでの心身の浮沈み、両親との関係。彼女はすごく明晰で、実は英語も母語みたいに話せる方だったから、そのお喋りの面白さにも惹きつけられた。

 とてつもなく美人だという理由もあるけれども、その発信の内容を見ながら、どうしてわたしはその人にこんなに惹きつけられているんだろうと考えていた。

 先月2026年8月は、わたしが自分の占いの企画で「自分の底から生まれ変わる」と題したほど、大きな「自分の再定義」の波が打寄せていた期間だった。

 その節目の中で、わたしはどういう人間なのかを自分で意図し、ひたすら行動をしていた。そして、8月の新月の日に、母に占いをしていることを少し話してみた。

 母から返ってきたのは、「会社員に戻る氣はないのかい」という言葉だった。

 それは、無理だねえとだけ返した。

 何と説明したらいいのかと考えていると、会話の中身を知ってか知らずか、父がよく分からない話題で話に入ってきたので、わたしは席を離れた。

 考えてみると、わたしは両親とは全く異質の人間だった。

 両親、特に母は神社を日本の軍国主義を推進した機関として毛嫌いしていたし、父も母も見える世界と科学が真理だと信じて疑っていない。それに、わたしが感じている微細な世界の揺らぎのようなものは全く感じていなかった。

 両親との「仁義なき戦い」を繰広げていた時は、わたしは親から体をもらいこそすれ、魂の系譜は全く別だと感じていた。今の両親は、わたしが魂の修行をするために「家族」という現代社会の枠組みでただ一緒に過ごしているに過ぎない相手だと、心の中で吐き捨てていた。

 思い返してみれば、子どもの頃から親とは会話はしていたけれども、それは親の話題にただただ「合わせていた」だけで、わたしの本音、わたしが見ている景色、好きな物、わたしはどういう人間であるのかということについて、本心を話したことはなかったように思う。

 ずっと食い違ったまま、形だけの親子を維持するために、わたしはずっと本音とずれた行動をとってきたのかもしれないと思い至った。このずれを修正しない限り、きっとずっとわたしは両親との誤解を抱えたまま人生が進んで、その度に不満を抱くのだろう。

 そうしたら、今度は父との間で意図しない出来事が起こった。父がわたしを思ってあることをしたのだが、それはわたしが以前、父に対してやる必要はないと伝えたことだった。しかもそれを、わたしに何の説明もなく、影で弟を使って無断でやっていた。

 弟からの報告でその事実を知ったが、弟の物言いも頭にきた。文字だから温度も細かい背景も省かれているんだけれども、わたしへの配慮を欠いているように感じた。

 わたしは、自分に関することを勝手に、または無断で進められることが何より嫌なんだなと思う。わたしに説明なく、わたしの意向を無視して物事を進められることは、わたしの意思や意見に価値がないと言われているように感じた。

 落ち着いていた憤りが再燃した。両親との関係を遮断したくなった。弟にも、次に同じことがあったら縁を切らせてもらうと警告をする必要があると感じた。

 両親と少しずつ会話をするようになっていたのに、押込められたかのように5日くらい部屋に篭った。心が腐っていくように感じた。田舎の家は広く、親と顔を合わせないでも過ごすことができる。

 どうしたらこの局面を打開できるんだろう。わたしのこの憤りをどうやって伝えたらいいんだろう。

 子どもの頃みたいに、拒絶されるのが怖い。

 「ふん。何、そんなの」そんな態度を取られるのが怖い。わたしの考えをまともに聞いてもらえないのが怖い。

 一方で、最近この世界は自分の鏡なんだと感じる出来事がいくつかあった。それは、痛みを伴う感覚だった。

 つまり、わたしが変わらなければ、現実は変わらない。わたしが発している物が変わらなければ、世界の反応は変わらないのである。

 父は、わたしを思って今回の行動を取った。そのやり方はわたしの意に反する方法だったけれども、父なりの愛情を注いでくれたものだった。世の中には、子どものために同じことをしてくれない親もいる。わたしの友達は、親から同じことはしてもらえないだろう。そんな父親がいるだけでも、わたしは幸せなのだ。

 潜在意識に関する講座を開いている「思考の学校」の宮益侑嬉校長は、社会的経済的な状況を改善したければ、父親への感情を見直して、その愛情を受取るようにすると良いと指摘する。

 わたしの今の反応は、父の愛情を払いのける行為だ。父からのこんな形の愛情なんてもらいたくない。その氣持ちの底には、できない男と父のことを見下して軽蔑している自分の氣持ちが横たわる。

 結局、わたしが反発心や嫌悪感を発している限り、両親との関係は変わらないのだ。降参して白旗を揚げて降伏するように、抵抗をやめて自分の拘りや怒りを手放す。

 大きく一つため息をついた。分かった、受入れましょう。

 その上で、父と母にはわたしが占いをしていて、スピリチュアル(霊性)とか見えない世界のことが好きで、植物とか動物の氣持ちも時々分かること、あらゆる鑑定で「特殊な」星を持っていることなどについては説明しようと思った。

 絵本作家のぶみさんの『胎内記憶図鑑2』も使おうと思っていた。

 8月中に、こういう「両親に分かってもらえないわたし」を手放す。そう思いながら、なかなか勇氣が出なかった。今日もだめだった。また、次の日もだめだった。明日こそは。そして31日になってしまった。

 午前中に絵本とパソコンと鑑定資料を持って居間に降りたけれど、話を切出せなかった。午後、意を決して「わたしのことについて話があるんだけど」と二人を呼んだ。

 父は腕組みをして沈痛な面持ちで、母は黙り込んでいた。それだけで怖かった。「もうこの空氣だけで怖いんだけど」そう言うと、少し場が和らいだ。

 子どもの頃から父と母に話を合わせてきて本音を話していなかったこと、占いをしていること、各種鑑定でも変わっていると言われること、家でも社会でも自分は遺物だと感じてきたこと、四柱推命では自分の城を築く星が出ていて、友人知人の手相でも組織に勤めることはしないらしいこと、数秘も合わせると組織の枠組みに入ることはわたしにとってはむしろ能力の抑圧になること。そして、父と母を幸せにしたい、それはひいては地球のためだからと話す胎内記憶を持つ子ども達がいて、わたしは雲の上の記憶はないけれども、想いはその子達と同じであること。AI占星術で見た父と母の腐れ縁の読みがその通りに現実になっていて笑ってしまうこと。

 母は話を合わせて笑いながら聞いてくれた。

 父はわたしの将来に対する不安を話していた。今まで氣不味くて、両親の不安な氣持ちを正面切って聞いたことがなかった。両親の氣持ちも分かる氣がした。

 わたしは自分が異物だから分かってもらえないと思ってきたけれど、見えている世界の違う両親からすれば、分からなくても致し方ないのだなとも思えた。

 「この絵本、絶対に最後まで読んでね」

 そう伝えた。話合いの後に母が霞み始めて弱くなった視力で読んでいたけれども、反応がないので何を思ったのかは分からない。

 それでも、わたしは自分が何であるかという「告白」の大仕事はやり遂げることができた。

 お母さんに幸せになってほしい。『胎内記憶図鑑2』の中にある子ども達の声と全く同じであるわたしの氣持ちを、父を責め、人の好意を受取ることが全く下手な母にとにかく伝える。

 この社会において何の経済的価値も持たない課題だけれども、わたしの人生においてはずっと果たせずにきた大きな課題だった。

 そのことは達成できた。わたしが地球に生まれてきた使命の一つをようやく果たすことができた、達成できたよ。拳を握って高らかに掲げたい。自分に嘘がないとはこういう氣持ちを言うのだと思った。

 翌々日、父と一緒に地元の百貨店で開催されていた北陸物産展に出かけた。母は「買い物はあまり好きじゃない」と来てくれなかった。

 父と二人で出かけたことは、大人になってからは記憶にない。物産展では、母の好みに合わせて北陸の食卓が囲めるようにとお土産を買い、父と二人でノドグロのお寿司や葛アイスを食べた。人の調子を乱す会話しかできない父に店員さん達が何とか合わせてくれている様子を視界の端で見て心の中で呆れつつ、怒りは沸かなかった。

 動く階段(エスカレーター)では、わたしの隣に立って話をしようとする父がいた。内心、すごく嬉しいのだろうなと思う。

 こんな日が来るとは思わなかった。

 まだまだ理想には程遠いけれど、仁義なき戦いから和解を経た、わたしと両親のその後である。

※写真を撮り忘れていたことに氣付いたんですが、北陸ご飯のお品書きでご想像ください。

【北陸ご飯 お品書き】

  • ゆでダコ(雌:柔らかい)
  • 金沢ひろず(沢山の具を包んだがんもどきのような物)
  • 厚揚げ豆腐の手作り茗荷味噌田楽風
  • 黒胡麻の生麩
  • ヒラメとあおさの海鮮ぶっかけ丼(多少添加物ありだけど、美味)

まとめ

うさこ
うさこ

 わたしね、本当によくやったと思うんですよ。

 うちよりも大変な家庭は沢山あると思うけれど、子どもの頃から振返ると、わたしはわたしの困難なこと、沢山の壁を乗り越えてきたよなあって思うんです。

 8月31日は日中に英会話があって、そこで午前中に話せなかった話を今日中に両親に話したいって宣言したんです。仲のいいお姉様が応援してくれたから、お陰様で伝えることができましたってお礼の連絡をしたんですね。そしたら、すんんごく温かくてわたしのことを想ってくれている文面が返ってきて、何だか感動して泣けてきました。ああ、ありがたいなあって。

 そして昨日の9月3日、北陸物産展で買ってきた食材で両親と一緒に夕飯を食べるつもりで、前日から準備をしていたんですが、父にそのことを伝えそびれてしまったんですよ。そしたら夕方出かけてしまい、父に電話をかけて呼戻したと思ったら、約束したはずなのに母が先に一人で自分で夕飯を食べてしまっていた。さすがにむっとしたんですけど、帰宅した父と母とひとまず同じおかずを囲むことができました。母の好物のタコは、とっても硬くて、とても美味しかった。

 現実は自分の鏡なのだとしたら、目の前で起きていることを変えようとする前に、自分の中にある仕掛けを見てみる必要がある。そう捉え直すと、視点が変わるんですね。

 わたしが父に伝えなかったのが悪かったんだ。母の性格を考えたら、父の行動に臍を曲げたのかもしれないし。それでも何とか夕飯を囲めたのなら、すごく歪だけど目標達成じゃない。そんな我が家です。

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