公務員退職の体験談①

体験

 うさこは、2020年3月末日で10年間勤めた公務員を退職した。

 退職についてはたくさんの方に驚かれた。「安定した公務員」でしたから。

 退職が決まって、残務整理をしていて終電を逃してタクシーに乗った時に、タクシーのおっちゃんが「絶対に辞めちゃだめだ」と真剣に言ってくれたりしましたね。

 仕事では大変なことも沢山あったけれど、頑張っていましたし。

 でも公務員を続けるのは、うさこ的にはしんどかった。

 今日は、うさこが退職するに至った経緯やその動機についてまとめました。

 すごく個人的な話なので、公務員で退職を考えられている方にどの位参考になるか分かりませんが、大きな決断だと思うので、何かしら参照していただけたらと思います。

 記事を読み返していると、うさこは本当に子供の頃から現代社会に適応できていなかったんだよなあ。10代から20代前半は思春期を腐らせていた(笑)。もう笑うしかなーい。

 まあ、大事なのは「今」と「これから」。

 過去は終わったこと、過ぎたことなので、それを体験した自分と周りの人に感謝して、さくっと記憶の棚に整理しましょう。

 物事のいい側面を捉えること。

 では、そもそもうさこが公務員に就職する理由から繋がっているので、まずはそこからの話です。今回は、うさこの幼少期の話になります。

 ちょっと重たいかも。

親戚の相次ぐ葬式と、従兄の家の家庭崩壊

 うさこの親戚は、うさこが小さい頃から色々と揉めていた。

 内、一つの家庭が家庭崩壊を起こしていて、それが他の親戚宅に飛び火した。

 うさこが小学校に上がる前に従兄弟が自死したのがとても大きな出来事だったけれど、前後して祖父や伯父さん、伯母さんが数年の間に複数亡くなった。

 うさこは小さかったので、大人が諍い合う渦中に飲まれているしかなく、子どもで無力な自分がとても悔しかった。

 自分が大人だったらー。

 大人になって当時の気持ちを言葉にしたら、そんな風に思っていたことに気づいた。

 結局、生き残った一人の従兄弟は施設に入所した。

 うさこの両親はこの一連の経過でとても大きな負荷を追い、これらの出来事はうさこの10代以降に暗い影を落とした。

 今思えば、人の死はいつもうさこの身近にあった。そんな感覚がある。

 また、これとは別に、うさこ自身がとても変わっている子どもだったんだと思う。

 学校や親から提示される生活の決まり、慣習の意味がよく分からないと思っていたけれど、小中学生の頃は過剰適応して優等生でいることで、大人から怒られるのを回避していた。

 高校で進路希望を聞かれた時に、何がやりたいのか何も思い浮かばなかった。

 進学校だったからとりあえず大学に進学したけれど、何を目的にして生きていけばいいのか分からなかった。

 うさこは小さい頃から人見知りで(今これを言うと、絶対に嘘だと言われる。本当です(笑)。)、人間関係も苦痛だった。

 卒業後の進路選択を前にして、大学3年の時に半年ほど鬱状態になった。

 今思えば、病気になって将来の進路選択という嫌なことを避けようとする心理からだと分かるけれど、鉛のような日々だった。卒業時点で進路につまづいた。

 ああもう、本当に困ったちゃん(苦笑)。

 指導教官の紹介で、県の臨時職員をしたり、その後、まさかのニート期間を経て、怒り狂う親との約束の年限を何とか守り、公務員に滑り込むことができた。

 その時に自分の中にあったのは、家庭崩壊した子どもに関わる仕事をしてみようかな、そんな気持ちだった。

 就職してから、初めてあの親戚間のごたごたや施設入所して疎遠になっていた従兄弟の存在が仕事を選ぶきっかけになっていたことに気づいた。

 ②に続きます。

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