愛とともにある経験をしたこと

体験

 親との関係は色々ありますよね。

 うさこはここ1〜2年、思春期にできなかった反抗期もどきをしています。もう、周りは今さら感がすごいと思う。

 今日の記事は、去年のお盆の時の出来事。

 この時もちょっとした排毒作業になって、愛を感じて、次の日に行ったヨガ教室で不思議な現象が起きました。

親への反発

 今年の夏にお盆の帰省をした時に、うさこがその時関心を持っていたことを話したら親に否定され、一方的に家を飛び出してアパートに帰ってきた。

 うさこはただ受け止めてほしかっただけなのに。悲しくて泣いた。こういうことを10代の頃にできなかったので、大人になってから思春期を取り戻すようにやっている(笑)。

 うさこは夏に各出版社で催される文庫フェアが好きで、今年は赤毛のアンを買っていた。

 とても面白い。

 アンは両親が亡くなり親戚宅を転々とした後に孤児院に入所した。紆余曲折があって育ての親となるマリラとマシュウという老兄妹に引き取られ、てんやわんやの家庭生活が始まるけれど、アンの明るい性格に育ての親の二人も惹かれていき深い愛情で結ばれていった。

 アンは血の繋がっていないマリラとマシュウとこんなに深い愛情で結ばれているのに、どうしてうさこは実の両親にも理解してもらえないんだろう。

 夜、赤毛のアンを読みながらなぜか涙が出てきた。

 もういい大人なのに。

 でも、その日は感情に任せて泣くことを許してあげた。うわあんって声を上げて泣いた。

 こんな風に泣くなんて、子どもの時以来だな。

 慰めてくれる人はいないけど、うさこがうさこを分かってあげるんだ。

 退職してからそうやって過ごしてきたんだから。

 まずは自分が自分を受け止め、理解してあげること。

 誰かが私に何をしてくれなくても、うさこがうさこにしてあげられることがある。

本当の想い

 うさこは、親に自分の存在を丸ごと受け入れてほしいという願いがあると同時に、親に幸せになってほしいと思っていた。

 胎内記憶がある子ども達の動画を見ると、みんな「ママを幸せにしたかったから」「お空の上で見ていたら、ママが泣いていたからこのママに決めた」って言っている。うさこは胎内記憶なんてないけれど、その気持ちはすごくよく分かるなって思う。

 よく「親は子どものことを愛しているんだよ」って言われるけれど、うさこは言いたい。

 子どもだって、それ以上に親のことを愛しているんだよって。

 うさこの両親は、うさこが小さい頃からけんかばっかりしているし、否定的な発言が多いから、一緒にいると今でも憤りを感じる。空気が悪いから、実家にいるのは一泊が限界。

 でも、憤りで蓋をした心の底に、小さい頃に両親のことをとても好きだった気持ちがあることを思い出した。

 ああ、うさこは両親のことが大好きだし、二人に幸せになってほしいんだ。

 自分の本音はここにあると気づいた。いつか伝えられるだろうか。

 翌日は午前中にヨガに行くと決めていて、絶対に瞼が慣れることは分かっていたけれど、その日は夜更けまで大泣きした。

 親戚関係での母のトラウマがうさこへの拒否的な反応に繫がったであろうこと、うさこが母を選んで生まれてきた意味、今の苦しみが今後どう繫がって行くのか、どんな意義があるのか。そんなことを想って泣いた。

 泣きながら、これは愛だなと思った。

うさこは愛とともにある

 次の日は、いつもと感覚が違っていた。

 「私は愛とともに在る」

 泣き腫らした大人気ない顔なのに、自分の内側にはそんな言葉が響き渡っている。

 よくスピリチュアルで「一人一人が愛そのものなんですよ」なんて言うけれど、正にそれだなという体感がする。

 自分が愛そのものだということを自覚すると、自分の本質が開いてくる。

 ヨガで言う第4のチャクラ、胸にあるハートのチャクラが開いて、ピンクのオーラが溢れているような感覚がした。まあ、そんな感覚です。

 私はオーラは見えない。

 その日はシヴァナンダヨガという種類のヨガクラスで、カパラバティという独特の呼吸法から始まる。腹筋を使って80回息を吐き出し、1分間息を止める。それを3回行う。

 これ、いつもは結構苦しい。

 でも、この日は違う。

 「私は、愛と共に在る」

 心がすごく凪いでいて、全てが心地よく感じる。

 1分間の息止めが、20秒位に感じる。

 まるで息をしているような穏やかさと不思議な時間感覚の中にいる。 太陽礼拝は、静かな祈りと一体になった動作。

 うさこは、世界の全ての人にうさこの愛を届けるためのヨガをするんだ。

 どこにも自己顕示欲がない、力みがない体の動きで、かち、かちと動作が決まる。

 この日、初めて三点倒立ができた。

 先生からも「今日の動きは違うね」と驚かれた。うん、やっぱりわかりますよね。

最後に

 傷ついて悲しくて泣き腫らしていたはずが、何だかすごい体験をしてしまった。

 絶対時間みたいなこの感覚はこの日だけで収束していったけれど、忘れられない体験となった。

 みなさんも、こんな不思議な経験はありますか?

 うさこはこの記事をスタバで書いていて、また泣きました(笑)。よっぽど心の洗濯になったんでしょうな。

 少しでも自分の内なる愛に触れられる経験があると、世界が違って見えますね。

 自分という存在が内包している可能性って、本当に大きいような気がします。

 では、また!

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