はじめに
前回の記事はこちら。
あのね、読んで。
わたしが高校生だったら、登校した朝一番、挨拶代わりに友達の机の前に立って、鼻息荒く本書を差し出したいぐらいに面白かった。
本書が本屋大賞を受賞した頃から氣になってはいた。非常に話題になっていて、後に岡田准一くんの主演で映画化もされた。
当時は、我が福島県の会津藩にゆかりのある内容だとは知らなかった。仮に知っていても、自分の県の価値を割と軽視していた年頃だったので、読んだかどうかは分からない。
それを読むきっかけになったのは、ある方から暦の話を聞いた時に本書の話題が出たからだ。天文学や暦は、為政者や権力者が喉から手が出る程欲しがる物だったそうだ。西洋ではそういった類の知識や技術は隠して独り占めするのが定石だけれども、日本人は世のため人のためと思ってそういうのも公開しちゃうのよね。ほら、県内出身の作家さんで暦を作ったお話の小説があったじゃない。
そういって紹介されたのが本書だった。その方のお話をきっかけに、これは読む時が来たと思った。長年手を付けずにいたかの有名な冲方丁の『天地明察』を。
ちょうど西洋占星術について調べる傍らで、江戸幕府の天文方の仕事や、その後身である国立天文台の情報を見るようにもなっていた。
何だか運命のような氣がした。
ひとまず図書館で。そう思って館内を探し回って借りた。
読んだ感想を一言で言うと、文句無しの面白さ、という言葉に尽きる。
自分の人生がつまらないと感じたら、動画を見漁るのもいいけれど、どうか本書を手に取ってほしい。この本が、あなたのこの瞬間を煌めかせることは必至だから。
『天地明察』
時は徳川四代将軍家綱の時代。振袖火事とも言われる明暦の大火で、徳川家の威信を象徴する江戸城の天守は焼失した。
戦国の世が終わり、徳川家康により江戸幕府が開かれて間もないこの時、幕府は武家による民生政治に舵を切り始めていた。天守を再建する代わりに、徳川の治世が安定するよう庶民に施す。
主人公である渋川春海は、囲碁で徳川家に仕える四家のうちの一つ、安井家の後継ぎで、二代目安井算哲の名を持つ。囲碁と算術に長けて頭脳明晰な上に、神道に測地に暦術など通じているものの、武士とは違って体力がなく、権力にも出世にも欲がなく腰が低くて純粋な青年だ。
けれど、決められた棋譜を打つだけの御城碁の職に飽いている。その中で算術は面白く、唯一自分が情熱を傾けられる対象だった。
江戸では、のちに和算と呼ばれる日本式の算術が盛んになっていて、春海は神社の絵馬で生涯の研鑽相手である関孝和の存在を知り、鮮やかな衝撃を受けていた。
その春海に、既にずれを生じ始めていた暦の改暦事業への任務がひたひたと寄せる。
この時代には、地球が他の惑星と同様に太陽の周りを公転していることが、欧州をはじめ中国でも日本でも常識になっていたらしい。
改暦には、北極星を利用した緯度の計測と、日蝕月蝕の予測、それを計算するための算術が必要になる。
さらに、改暦、つまり暦を創る権限を得ることは、これまで朝廷が握っていた権威の所在を事実上幕府に移すことを意味する。ともすれば、日本を二分しかねない権力抗争にも発展する恐れを秘める。
そんな難事業の遂行に人生を賭けた渋川春海と日本の暦創設の物語だ。
面白いっ。
面白い。
さすが本屋大賞受賞作だと思う。吉川英治文学賞も重ねて受賞していることが、この小説の面白さや魅力を代弁してくれている。
春海が情熱を傾ける算術とそこでの挫折、北極星観測で出会った天文の先輩達との絆、保科正之公の意志を継ぐ忠誠心、徳川幕府を支える人々への推察と配慮、そして改暦事業でのまさかの誤算。
春海が失敗をして苦渋に打ちのめされる度に一緒に泣き、大切な人達を失ってはその方達への思慕に泣き、その度にわたしにとって大切な先生とのご縁や想いを重ねて感じ入ることが多かった。春海の恋の行方も氣になりつつ、事業に関わる幕閣の動きや春海の仲間達の感情の揺れ、関孝和との関係など様々な出来事に心が揺らされてゆく。
福島県民のわたしとしては、県にゆかりのある偉人や歴史上の人物がこの小説で一氣に繋がったのが面白かったことの一つだった。初代会津藩主の保科正之公が人々から慕われ偉大な人物だったこと、会津藩自体がこの暦の編纂に大分助力していたこと、二本松藩が和算で有名な算学家を招いていたこと、保科正之公が眠る土津神社と神道との関係への理解などが自分のことのように感じられた。
面白かったことの二つ目は、天文学と占星術と暦との関係性が小説で描かれていたこと。何らかの占い鑑定をする人であれば、生年月日が司どる星の配置が特別な意味を持っていることを知っている。だからと言って、全ての占術家が暦の歴史について興味を持つ訳ではないけれども、そこは変態うさこ、星の動きを掴もうとする人々の思いとその歴史に胸が熱くなるのである。
それが一冊の小説で垣間見えてしまうのだから、著者がこの小説の執筆に当たり、どれほどの知識を積んだのだろうと氣が遠くなる。
後半の改暦に進む下りは、前半のように一人一人の心境の変化や展開をつぶさに描くのではなく、事の成り行きをまとめて追っていくような筋書き風になってしまっているのが残念だけれど、それも主人公の半生とこの物語を一冊の本にまとめようと思ったらそうするしかないのかもしれない。
それでも、渋川春海と新しい暦の行く末は掴み切れる。
だから、やっぱりこの小説は面白かった。
わたしは保科正之公の偉大さに首を垂れるために、紅葉で美しく彩られた土津神社にお参りしてこようと思う。
<本の情報>
- 書名:『天地明察』(単行本)
- 著者:冲方丁
- 出版社:角川書店(角川文庫)
- 価格:2,966円(税込)
- 頁数:477頁(単行本)
- 受賞歴:2010年 第7回 本屋大賞受賞
第31回吉川英治文学賞
第143回直木賞候補作
<こんな人におすすめ>
- 面白い本を探している人
- 歴史や時代小説が好きな人
- 福島県にゆかりのある人は特におすすめ
まとめ

速読の練習も兼ねて読んだけれども、結構時間がかかった。一文字も読み逃したくないし、本書で語られる感情の動きや機微、そんな人々のうねりが一瞬で過ぎ去るのが勿体無いと感じてしまったから。
近く文庫が新装版で発売される予定だが、Amazonでは未だ単行本と、旧版の文庫本上下巻も購入できる。
旧版の文庫本の装丁もいいなあ。中身は一緒なんだけど。文庫本を二種類買ったら無駄かな。単行本もあるといいんじゃないか。わたしはお氣に入りの本は単行本と文庫本で揃えたくなる。全部買ったらさすがに変態かな。
この出版不況の時代に、未だ本が手に入る。それだけの間、読継がれて読者を魅了し続けている証拠である。
2026年10月23日、新装文庫本発売です。
新しい装丁で出会うもよし、これまで読み継がれてきた本を手に取るもよし。星と暦に人生を賭けた人々の物語を、ぜひ味わってみてほしい。
(それでも、入手はお早めに。いつ買えなくなるか分かりませんから)

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