はじめに
前回の記事はこちら。
漁師さん夫妻から頂いた海の幸の手土産は、海の豊かさを感じられる極上の味わいだった。
生牡蠣と生わかめのしゃぶしゃぶが最高に美味しかったよおおおう。
『海の手土産』
漁師さんと奥さんは、漁師さんがむいた生牡蠣の商品一袋と今朝獲っためかぶと、奥さんがアルバイト先で作った塩蔵わかめをお土産に持たせてくれた。
透明な袋にぱんぱんに詰め込まれたむき身の生牡蠣は、一体いくつ入っているんだろうと思う程ごろごろと沢山入っていて、食べるのがもったいなかった。けれども、自然界の物は長持ちしない。その時に食べないと、美味しさを維持できる瞬間はあっという間に終わって悪くなる。めかぶも同様に、想像以上の粘り氣に驚きながら包丁で刻んだ。ぬめりで切りにくいので、めかぶは食べるまでの処理がなかなかに大変である。まな板の上にめかぶの粘り成分の層ができて、洗うのが一苦労だったのには笑った。それでも収穫できた物はありがたく頂く。それが地球からの恵みを頂くということだと、わたしはかつてやっていた畑から教わった。
そして、蒸しパン屋Onceさん一押しの、この春先にしか食べられない生わかめのしゃぶしゃぶ。今日はこのわかめのしゃぶしゃぶと生牡蠣を夕ご飯に贅沢に食べる。
酢醤油に、冷蔵庫にあったエリンギを拝借して、適当な太さに裂いて火にかけた鍋に入れる。エリンギに火が通ってきたら、生わかめを投入して湯にくぐらせる。すると、黒茶色のわかめがさっと、鮮やかで深い緑色に変わる。まずはわかめだけ。コリコリとした歯触りで、わかめの香りが口に広がる。この歯応えは、確かに生わかめでしか味わえない独特の感触だ。次に茹でたエリンギと一緒に口に運ぶ。やっぱり合う。
そしていよいよ、生牡蠣の番である。ぷりぷりに膨れたお腹、丸くて立派な貝柱、何層にも舞う黒めのひだ。ここ数年、夏場の海水温が原因と考えられる生育不良で牡蠣の生産が芳しくないという話を聞いてきたので、この大きさで、しかもこれだけ贅沢に牡蠣が沢山目の前にある裏側に、漁師さん達の多くの努力と労力と手仕事が積み重ねられた光景がが浮かぶ。
それを酢醤油につけて、そのまま貝柱側の上半分を口に入れる。牡蠣の独特の香りと貝柱とひだの食感。続いて、お腹側のぷりぷりと柔らかい部分。あまりの美味しさにため息が漏れ、身悶えする。目を閉じてその味と香りと食感に意識を浸す。
基本的に、幸運は使い果たす物ではないと考えているけれども、この時はこんなに贅沢に牡蠣を何個も食べていいんだろうかと、自分の幸福を使い果たさないか心配になった。
口福と幸福、二つの「こうふく」が合わさった大満足の夕食だった。
漁師さんに帰郷の挨拶とお土産へのお礼を伝えるために連絡をした。漁師さんからはこんな返事が来た。
「こちらこそ本当にありがとうございました。とても助かりました!そしてとても楽しかったです。またいつか会えると、勝手に思っているので、その時はよろしく!」
またいつか、わたしに会いたいと思ってくださっている。わたしの長ったらしいお喋りも楽しかったんだ。その氣持ちはわたしの顔をぐっと笑顔にした。
どんなに変わり者でも、常識外れの変態でも、わたしは初めての場所、初めての方達にも受入れてもらえている。大丈夫、大丈夫だ。
わかめ漁の旅は沢山の地球と海の恵みと共に、そんな自信もわたしにくれた。




まとめ

第一次産業の何がいいかって、収穫できた物を最高に美味しい状態で食べられること。直に地球の恵みを味わって体感できるのが、第一次産業の醍醐味であり、価値だと思う。
地方暮らしのわたしは都会の高級料理店には入ったことはないが、ちょっとしたお高めの果物とかお野菜とかは、産地の方が断然美味しいと思う。
そういうご当地の産地とのご縁が直接できたことも人生の豊かさだし、そのご縁の中で、わたしは『怪我の功名』から続く規格から外れた自分、人からすると相当変わっている自分を受入れて肯定する機会を得たのだとも思う。
そういう意味で、この石巻のわかめ漁の旅は、色んな豊かさをわたしにくれた氣がします。


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