はじめに
前回の記事『仁義なき戦い』の記事はこちら。
『弟』
学年で3歳下の弟は、子どもの頃は女の子みたいに可愛くて、氣持ちも優しかった。そのせいか、よくいじめられたりからかわれていて、わたしは自分が守ってあげなきゃいけないと使命感に駆られる程、いつも弟のことを心配していた。
でも、姉のわたしのことも近所の子達のことも大好きで、わたしとは違って友達が沢山いた。天真爛漫で、好きなことは好きと言える。そして欲しい物がちゃんともらえる性格で、大人の小難しい話には無理して付き合ったり、我慢したりせずに子どもの世界で遊べる子だった。
だから、親戚に問題が起きて母が大変な時も、わたしが母の話に苦痛を感じながら我慢して付合っている傍らで、弟はどこ吹く風で全く氣に留めずに遊びに行っていたし、どんなに親戚の大人同士の間で揉めていても、小さくて事情を理解せずに済んだようだった。わたしはぎりぎり大人達の事情や状況が分かってしまう年齢と理解力を備えていたので、何もできないのに大人の事情をより受止めてしまい、自分の中に暗黒の歴史を抱え込んでいたのだと思う。それに母目線でほとんどの事情を聞かされていたから、尚のことだった。
親の言うことは絶対だと疑わず、母が否定してくる言葉も、父のわがままな言動も受容してきたわたしは、思春期になると何事も深刻に考えるようになった。そんなわたしとは違って、弟は男の子特有の明るくて後を引かない性格で、母の言いがかりに近い叱責にもちゃんと反抗し、高校生活をそれなりに楽しんでいるように見えた。
わたしの方が勉強ができて、頼りないと思っていた弟は、方向音痴のわたしと違って道もちゃんと覚えているし、何も教わらなくても状況に応じて乗換えの判断もできる。上司や先輩との付き合い方もわたしより上手で、年齢が上がるにつれて、違う世界に想像を広げているわたしとは対照的に、現実場面に強いのは弟の方であることが明白になった。
父と母は、なぜかわたし達姉弟に対して、わたし達自身ではなく、その時に席を外しているもう一人の子どもを褒める習性があった。なので、わたしの前でなぜか弟を褒めそやし、「弟は人見知りをしない、誰とでも友達になる」「明るい、人懐こい」、それに比べて「あんたは真面目で堅物」「勉強ができても面白みがない」そんなようなことを常々言われた。なので、わたしは自分の性格を否定するようになり、氣が付けば劣等感の塊だった。後に分かったことだが、それは弟も同様だったようだ。
学生時代に鬱状態になり、大学卒業後は一時就職につまづいていたわたしを見ていた弟は、知り合いのおばさまから聞かされた話では、「あんたのことを心配していたよ」ということだった。しかし、鬱状態になった時だったか、弟から「お姉は、お母さんの言うことを聞き過ぎたね」と言われたことがあった。母に反抗もできず、母の言い分を聞く以外に方法がなかったわたしは、「だったらどうしたらよかったの」と内心叫びたい氣持ちだった。どうやったら弟のようにそれができたのか分からない。だから、鬱になったのだ。そんな批判は、ただわたしを傷つけた。
それでも、いくつになっても、兄弟仲はよかったと思う。
弟は英語圏に留学して、帰国後に就職してから大手外資系企業に転職し、若くして管理職になった。コツコツと地道に努力をすること、見通しを持って物事を進めることが上手らしい。転職をしてからは特に、すごく冷静に、時にはちょっと温度がないんじゃないかと思うくらいに客観的に状況を見て対応する人に変わっていった。
わたしが退職した時は、新しい一歩を踏み出したわたしを喜んでくれた。けれど、当時のわたしはその言葉も表面的な励ましに過ぎないと思っていた。いつまで経っても次の道が定まらないわたしに対して、耳に痛い忠告も増えた。
年齢が上がるにつれて、姉弟関係も変わっていくものである。
去年の夏には、わたしの顔の周りに黒い輪が見えたと言われた。実家の空氣が悪すぎるとも。
わたしはわたしのことを変わっている人間だとどこかで自覚していたから、どこかに勤めて雇われて、似たような環境の人と結婚して子どもを産む、そういう普通の一般的な生き方はきっと無理だろうと思ってきた。それは、数秘33を知る前から薄々感じていたことだ。スピリチュアルな世界への憧れも切ることはできない。それが親に対して申訳なくもあり、理解されなくて哀しいことでもあった。今年のお正月に、何かの流れから弟とそんな話になった。
弟は言った。
「お姉に会社員に戻れなんて、俺は1ミリも思っていない。公務員を辞めた時も、俺はすごく前向きな反応をしたよね。占い師だっていいと思う。どんな稼ぎ方だって、真っ当に生きていたら、それでいいと思う」
弟はわたしのことを肯定してくれていたんだ。そう思うと泣けてきた。
わたしはずっと、家族から否定されている、嫌われているんだと思ってきた。認めてもらえない、分かってもらえないと。占いを始めたことなんて、うちの両親は絶対に理解しないし賛成しない。父と母が望む子じゃないと愛されない、認めてもらえない、関心を向けてもらえない。ずっとそう思って怖かった。生きていけないと思った。わたしは違うから、そうじゃないから。本当の自分で生きるのが怖かった。
けれど、弟はそんなわたしでも、世間や両親の認識から外れているわたしでも、ここにいていいと思っている。そのことに、涙が出た。わたしに対するその理解は、今までずっと求めていながら、叶わない願いだと思っていた物だったから。
それを与えてくれたのは、父でも母でもなく、弟だった。
また、弟はこうも言った。厳しいことを言うのは、両親と家庭内別居状態であることも含めて、今のままのわたしではよくないと思っているからだと。
「違う言い方をするなら、愛してるって言えばいい?」
弟は、照れ臭くなるような言葉も敢えて使った。俺だって、毎回実家に帰って、お姉だけじゃなく両親それぞれとみんなの言い分を聞いて、文句に付き合うのは正直かなり疲れるよ。こんなことを言うのだって照れ臭い。だけど、それは家族を思っているからすることで、お姉が大切だから言っているんだと。
両親との「仁義なき戦い」は、弟とも真剣に向き合う期間でもあった。そして弟にとっても、両親とわたしと本音で話し合う愛の修行のような時間だったのではないかと思う。
まとめ

家族であっても、友達であっても、人と向き合うことはしんどい作業ですよね。時に、その人にとって耳の痛いことを伝えなければならない時は。
弟は、俺だってこんな話をするのは大変なんだと何度もわたしに言いつつ、でも愛情があるからすることなんだと繰返し伝えてくれた。年下であるにも関わらず、わたしは親との間で受けた傷を弟に庇ってもらったような感じでした。
いざという時に真剣に向き合ってくれる存在は、わたしの家族においては弟でした。

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