『和解』–家族の負の連鎖を止めるために歩んだ二年間–|わたしを織りなす物語⑤

随筆

はじめに

 親との関係に深く傷いて、「もう分かり合えない」と感じたことはありませんか。

 わたしも長い間、父と母への怒りを抱えながら過ごしてきました。何度伝えても届かない言葉、変わろうとしない両親への失望、自分一人で家族を支えているような孤独。

 そんな中、弟との対話をきっかけに、家族で初めて本音を語り合う時間が訪れました。

 絶対に謝ることはないと思っていた父と母が、初めて「ごめん」と言ってくれた日、二年間続いた「仁義なき戦い」は、大きな節目を迎えました。

 これは、「わたしを織りなす物語」の一編の物語として、家族の負の連鎖を止めようと誓った姉弟の約束の末に、わたしが辿り着いた両親との「和解」の記録です。

『和解』

 「昔、お姉と約束したんだけど、覚えてるかな。親戚の中でうちだけは、俺らの代で家系の負の連鎖を止めようねって話をしたんだよ。お姉は忘れちゃっているかもしれないけど、俺は真剣にそれを実践しようと思ってきた」

 とても意外だった。それは後々まで反芻する静かな驚きを伴った。その約束は覚えていたが、弟もそれを守ろうとしていたことをわたしは想像すらしていなかった。

 わたしの家系では、従姉兄達の家で世代間連鎖が続いていた。でもうちだけは、わたし達だけは、自分達の代でその負の連鎖を止めようね。何年も前に、そう二人で約束をした。

 わたしはずっとその闘いに自分一人で挑んでいるものと思い込んできた。しかし、弟もあの約束を胸に抱えながら歩いてきたのだ。

 「俺だって、お父さんとお母さんに対して怒りとか憤りはあったよ。でも、従兄弟に「君の家はみんな文句ばっかりだね」って言われて、ハッとしたんだよ。それからは、文句を言うのを止めた。そうしたら、お父さんとお母さんに対する怒りも湧かなくなった。仕事とかでも、何で俺だけ上手くいかないんだって思うこともあったけど、文句を言うのをやめたら変わったんだよね。
 もう二人とも年だしさ、これから変わるなんて無理だよ。だから、俺はもう二人を直そうとも思わない。何も求めていない。そこに至らないと、お姉は変われないと思う」

 わたしは、この年になったら人間は変われないという考えは好きじゃない。本当は、人はいくつになっても変われると信じている。どこまで行っても、人はよりよく生きることを目指せる生き物だと思う。年を取ったら変われないというのは、世間的な思い込みや変わりたくないという抵抗感からの言い訳に過ぎないと思う。

 かつて、パワハラ上司の職場を経験して思った。人は相当な恐怖を感じると、どんなに苦手だと思っていることでも、大概のことはできてしまうものなのだ。できないというのは、所詮怠けと甘えなのである。

 とは言え、弟と交わした約束を、わたしだけではなく弟も覚えていて、弟もそれを守ろうと思っていたという事実を知って、わたしの心は少し動いた。それまで弟の話は責められているようにも感じる面があったからだった。

 わたしは個人的な感情から怒っていたのではない。わたしが嫌だと感じたことを受入れず、子どもに損害を与えてもなお自分達の欠点を正当化して、全く直す氣のない両親の態度に怒りを感じていただけだ。

 それは引いては両親を幸せにしない。だから、そういう独善的な在り方は変えた方がいいよと伝えたかった。少なくとも、あなた方の娘は傷ついているんだから。そうじゃないと、あなた達は死ぬまでそうやって顔を背け合って生きることになる。それは、子どもとしてのわたしの願いではない。どんな水準でも構わないから、父と母には仲睦まじくいてほしい。幸せであってほしい。そう願うことは、わがままでも独りよがりでもないはずだ。

 そんな思いで、ずっとわたし一人で担い、取組んでいると思っていた親との「仁義なき戦い」を、見えない所で担っていたのは弟だったのだ。そう思うと、自分一人で抱えてきた氣持ちを話してみようと思えた。

 わたしが子どもの頃、従兄弟の家に悲劇があった。その件で親戚中が揉めたし、うちも両親が衝突して異様な空氣になっていた。わたしは今に至るまで、その時の対応に関する文句を両親それぞれから聞かされて育った。彼らは今もなお、その憤りやわだかまりを解消できていない。

 互いに対する両親の文句や非難の内容は、子どものわたしにとっては甚だ荷が重く、大人同士でさえ解決できないその重荷を子どものわたしに背負わされること自体に苦痛を覚えた。それを聞かされ、重荷に感じていたのはわたし一人だと思っていたが、話してみると、弟も似たような心境であるらしかった。

 その件も含めて、自分が両親とこの家庭に対して感じてことを弟と話をしたのは、人生で初めてだったように思う。

 もう過ぎてしまったことだから、その出来事は変えられない。だから、過去を取戻したいとか誰が悪いとか誰のせいだとか、そういった話をするつもりもない。

 けれども、当時の父や母の言動に関して、検証したり事実を明らかにしたいという想いはある。それに、彼らの憤りも解消して穏やかになってほしい。

 まず父に関してそんな話をすると、弟は遥か高みの諦めの境地から見つめるようにこう言った。

 「あのねえ。お父さんは、心が育っていないんですよ」

 ああ、そうか、と思った。

 わたしはこの答えを受入れたくなかったのだ。

 父は幼い。

 そのことに辿り着いてはいた。でも、それを認めたくないから責めてきた。何とか父に自覚してほしくて、ずっと怒りを抱いてきた。

 けれども、できないのだ。

 いくら願っても、それを理解して実行できる器が、父にはそして母にも備わっていないのだ。

 弟がいることで、わたしもその事実にようやく諦めがついたのだと思う。分かってくれる人がいた。それだけでわたしは矛を収められた。

 例え仮に父と母がわたしの言い分を理解して受入れてくれなくても、弟の存在で少なくともわたしの想いは報われる。

 姉として、わたしは一人で全てを背負うつもりで、孤独な闘いをしていたんだなとそう思った。

 話が落ち着いてきた頃、弟が父に対してちゃんとわたしと向合うようにと諭してくれていた背景もあって、父が話合おうと声をかけてきた。今では物置状態になった食卓を片付けて、4人で座った。こんな風に話合うのは、うちではほとんど初めてのことだった。

 母にはこう伝えた。

 「この手のほくろね、手相の人に『この位置にあるということは、ご家族で誰か大変な方がいらっしゃったんでしょうか』って言われたの。まさにお母さんとの関係が苦痛で、高校生の頃にできたほくろなの。わたしは子どもの頃からお母さんに言うことを何でも否定されて、自己肯定感が育たなかった」

 「そんなに否定したかな」

 「してたよ。お母さんと仲がいい人も言っていたよ。言っても聞いてもらえないから、みんな言わないだけだよ。高校生の時にカーネーションを買っていこうとしたけどやめたら、『そんな役に立たない物より肩叩き券の方がいい』って言われて、すごく傷ついた」

 「それはごめんね。どうしてあんなこと言っちゃったんだろうって思う」

 「お父さんは、わたしが子どもの頃でも話に興味がなくなると、話の途中でもテレビを見たり、関心を失って違う方を見ていた。わたしは自分の話が面白くないんだろうと思って、自分の土台がぐらぐら揺れました」

 父は言った。

 「申し訳なかった」

 わたしは続けた。

 「わたしはお父さんとお母さんが本来やるべき役割を代わりに担ってやってきた。そうやってわたしがどれだけ家族のために心を砕いても、この家の人達は誰もそのことに氣付かなかった」

 わたしは弟に対しても言いたかった。今は偉そうにわたしにお説教をしてくるけど、あんたがのうのうとそんなことを言えるのは、わたしが両親との間に立って、特に母のゴミ箱になって母の氣持ちを受止めてきたからなんだと。本来それは、父が担うべきことだった。そういうことが沢山あった。そのことは分かってもらいたかった。

 「でも、今こうして実家に置いてもらえること、生活させてもらっていることには感謝しています」

 帰れる実家があること、仕事を辞めたのにこうして生活させてもらえる両親がいること、そのことに感謝していない訳ではなかった。けれども、その前にあなた達がやることがあるでしょう。

 感謝をするのは、その後だ。

 弟の司会進行はぎこちなかった。わたしならみんなの氣持ちがちゃんと混ざり合うように話を向ける。そこはわたしが職業的に得た技術なんだなと思う。でも、弟がわたしと家族のために懸命に調整役を担ってくれたことにはお礼を言いたかった。

 絶対に謝ることのなかった両親が、謝った。あの両親が謝るのかと、自分でもどこか信じがたい。もっと沢山言いたいことはあったけれども、和解するには足ると思った。

 人はいくつになっても変わるのだ。変われないなんて嘘である。自分の意固地になった心を上回る危機があれば、人は変わろうとするものだ。

 仁義なき戦いは幕を閉じた。

 わたしが自分でも持て余す程の怒りを以て、身を賭して闘った2年間だった。その闘いは、無駄ではなかったと思う。

まとめ

うさこ
うさこ

 父と母が謝ってくれたあの日、わたしの世界は大きく変わったと思いました。

 子どもの頃は親というのは絶対的な立ち位置で、子どもであるわたしの話なんて聞いてくれなかった。どんなに大切だと思うことを伝えても、所詮子どもの言うことだと軽んじて、自分達が正しいという信念を曲げることはなかったんですよね。

 スピリチュアルでも、潜在意識関連の方でも、臨床心理学の立場の方でも、親に謝らせるなんてって言う方がいらっしゃるけれども、わたしは、親御さんが未熟であるために子どもとして本当に傷ついた経過があるのであれば、必要に応じてご両親にそれを伝えて謝ってもらってもいいと思う。

 だって、親御さんだって、間違った対応をしたという事実を学ぶ必要があると思うから。それがその親御さんの魂にとっての学びだとも思うからです。

 正しいことだけを言える人なんて、この世にはいない。全てが間違っている人間もいない。

 わたしは傷ついたんだと伝える勇氣を実践すること、そしてそのことを受止めて謝る器を養うこと。親子という設定の中で、双方向からの人生の学びがそこにあると思うのです。

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