はじめに
母は読書が好きで、母が過ごす居間の机にはいつも本が置いてある。本書は、その母の読みかけを拝借してきた物である。
堤未果さんは母を通じて好きになって、堤未果さんの名前を一躍有名にした『貧困大国アメリカ』編の一連の著作から、退職後に図書館で探した『初めての留学』まで、大方の本は読んでいる氣がする。最近は三果さんと同様の社会的課題について論じる外国人や他の書籍を読むことが多かったから、今回手に取った本書は本当にたまたま母が買って家にあったからという流れで読んだ物だ。
けれども、そこにはわたしは生きていていいのか、命とは何か、尊厳とは何か、苦しみは何のためにあるのかといった今のわたし自身の問いと深く共鳴する内容が描かれており、終わりに差し掛かる辺りは泣きながら読んだ。色んな想いが浮かんだ。でも、今までの著作の著作と同様に面白かった。
本書は、遺伝子編集や人工子宮、AI社会、安楽死など、既に現実となりつつある生命倫理の問題を扱った一冊である。本記事では内容紹介とともに、わたし自身が感じた「人間らしく生きるとは何か」という問いについて綴りたい。
今回はその書評である。
『堤未果の「素晴らしい新世界」スマホで赤ちゃんを注文する日』
わたしは本書を読んで、近未来の話だと思っていた生体改造技術が既に市場で実用化され始めている事実を本書で目の当たりにした。
人工授精した胚の身長体重、認知能力と様々な疾患を数値化して格付けができる米企業は、赤ちゃんの瞳や髪の色を一押しで選べるアプリを開発した。クリスパーキャス9という分子のハサミを使って受精卵の遺伝子編集をした中国の科学者、知能指数の高い優秀な遺伝子を持つ者は未来のためにその遺伝子を多く残すべきだと主張して精子を提供し自社を引継ぐ次世代集団を育成するイーロン・マスク、AI社会において超富裕層から雇われる子供にするために遺伝子検査で受精卵を選別するシリコンバレーの富裕層夫婦(しかも出産を効率化するために意図的に双子を妊娠した)、老犬の死後はクローンを作れると喜ぶ著者の米国人の友人。
「遺伝子組換え赤ちゃん」は低規制の国々で実験が進められていると報道する新聞もあるらしい。アメリカでは人工授精した受精卵を身体的形状、認知能力、精神疾患から病氣の恐れまでを数値化して選択できる商品を販売する企業が多数存在している。女性の身体的負荷の低減と出産の効率化のための人工子宮も商用化が近いとか。シリコンバレーの富裕層は「出産という非効率を科学技術で解決する」思考なのだそうだ。
中国では、特定の疾患を発症する遺伝子を操作された赤ちゃんが既に誕生しているらしい。
今までは経済格差だったが、科学技術によって「遺伝子格差」への扉が開かれようとしていると著者は言う。
そして、安楽死が合法化されている国では認定速度が加速し、寿命が近い人ばかりか、福祉的救済が得られないばかりに安楽死を選択する人が発生する状況になっている。もっと身近な例では、米国では抗うつ剤で否定的感情を消滅させながら労働する。怒りや恐怖といった否定感情は、効率的に働く上での感情の誤作動として薬によって取払われる。会社は労働者を管理しやすいし、雇われている側は職場が快適になるということらしい。
働く環境がどれだけ過酷でも、会社側にとっては労働条件の改善より、社員に安価な薬を飲ませて「適応」させる方が圧倒的にコストが低い。
こんな風に科学技術が発展した未来って、生命倫理はどこに行っちゃうんだろうなという事例が盛り沢山で、自分が今いる世界と同じ話とは思えなかった。命の選別とかを議論する段階にはない。「人間らしい暮らし」なんていう概念が吹飛んでしまうような「進歩」を歌う世界がもうそこにある。わたし達はもう既にそんな未来を生きているのだ。
本書で度々登場する単語がある。「最適化」と「効率化」だ。そのために、不都合な否定的感情も、経歴の邪魔になる妊娠出産も、受精卵の選定も子育ても、労働環境も全てが管理され、場合によっては監視されて、無駄を削ぎ落とされて「効率化」が図られる。そして人々は、その環境に順応するために、これは合理的な対処法なんだと自分を正当化する。
無駄がなくて、効率的に収益を上げられる構造は、確かに間違っていないし圧倒的に正しいんだけれども、そこに疑問を挟む余地を許さない拒絶感も感じる。大切な問いは「それって誰のためなのか」という点にあるんだと思う。わたしは本書を複雑な氣分で読みながら、この本、そして圧倒的な科学的進化の渦中にある現状に対する大きな問いはそこにあると思った。
それは、社会や巨大企業、この世界を動かす力のある人達が我々に求めている「最適化」であり「効率化」であるのか。それとも、一人一人が人間らしく生きたいと望んだ先にある「最適化」や「効率化」なのかという問いである。
どうして著者が生と死を巡る革新的な科学技術の「進化」を題材にしたのかというと、彼女の叔母がアメリカで安楽死をしたからだ。そして彼女の母は、末期癌で全ての近代医療を拒否して、「ああ、幸せ」を繰返しながら3ヶ月で枯れるように亡くなった。この二人に重なるように、著者が17年間を共にした愛猫が亡くなった。この二人の身内の女性達は、著者の憧れの女性だったそうだ。そして、猫という生き物がどれだけ愛の塊で人間の心を癒してくれるのかをわたしは知っている。だから、彼女の悲しみはいかほどだっただろうかと想像すると泣けてくる。
この二人の女性達が著者にとって永遠の勇者であった理由は、自分の死を自分の手で選び、最後まで人生の主人公だったからだ。
著者は大切な人や猫の死を通して、自分の本心、本音に氣付いたんだと思う。それは大切な人の死に接してもたらされた。一見して人生の苦難に思える出来事が、一人の人に大きな氣付きを与えた。そしてその悲しみや苦しみは、著者の感性を一層深めたことだろう。
科学技術の進歩と発展に伴って、生老病死は人間の都合に合わせて「効率化」され「最適化」されていく。その流れは多分これからもっと加速し、「進化」していく。自分はどの世界で生きるのか、選択できるかもしれないしできないかもしれない。すごい時代に生きているんだなと目が回りそうになる。
本書を読んで、人とは何なのか、人間らしく生きるとはどういうことなのか、死とは何なのかを自分に問いつつ、答えが出ないままこの場に至る。でも、わたしはこの一見したら人生の苦難と思えることがもたらす物の意味や意義をずっと考えていたい人間だなということは確実だと思った。

まとめ

最近は新書程度の書籍を一冊まとめて読む機会を持てていなくて、本書は泣いている時間も含めて読了までの時間が1時間40分程だった。本自体は1時間強程度の読書時間で、去年よりも脳の高速化は図れているはずなのに、読書時間は短くなっていないという結果である。久しぶりに新書を読むと、文字が大きいなあと思うのに、読む速度は伸びていないかも。というか、最近の未果さんの新書は文字数を大分削っている。久々に『貧困大国アメリカ』を開いたら、やっぱり文字数も行数も多くて紙面の密度が高かった。
とは言え、この割と差し引かれた文字数でこれだけの情報量をまとめて分かりやすく解説する未果さんの描写力と文章力、取材力はやっぱりさすがだなと感服した。

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