はじめに
本書は図書館でまとめ借りをした中の一冊です。『2026年3月図書館本まとめ借り』の記事はこちらから。
「真面目な文章なのに、こんなに笑える本があるのか。」
これが『狐狸庵閑話』を読み終えた時の率直な感想でした。
遠藤周作というと、『沈黙』のような重厚な文学作品しか知らなかったのですが、この随筆集では締切から逃げて夫婦喧嘩を覗き見し、おねしょを隠し、高級列車で他人のお弁当を食べて喧嘩までしています。
しかも、そのすべてが淡々とした真面目な文体で語られるので、余計におかしいのです。
この記事では、私が特に声を出して笑ってしまった話と、本書を読んで感じた「本の力」についてご紹介します。
『狐狸庵閑話』
中学生の頃に、図書館で借りたさくらももこさんの『もものかんづめ』というエッセイを読んで夢中になった。笑えるエッセイの最高傑作だ。でも、笑える随筆の元祖は本書の方だったのかもしれない。
この本は英会話の講師さんからお薦めされた物だ。何かの折に随筆の話になり、講師さんが一押しの随筆として本書を挙げた。
何でも、講師さん曰く最初から最後まで「まじめ腐った文体なのにゲラゲラ笑ってしまう」本なのだとか。著者の難解で沈鬱な小説とは打って変わって、同じ人が書いたのかと思う程に可笑しい随筆らしい。
そこから、いつか借りたい随筆としてわたしの候補に上がっていた。
かくして、図書館で閉架図書から司書の方の手によって手元に届けられたのは、破れた表紙がテープで継ぎはぎされた色褪せてボロボロの初版本だった。
遠藤周作は、キリスト教信仰に対する弾圧の歴史を描いた小説などで有名である。この狐狸庵閑話でもその創作の過程が時折垣間見える著者の心の闇のような感じでちらちらと描かれるが、中心に据えられているのはグウタラな生活をしていたいと寝床や机で抜いた鼻毛を眺めて暮らす物書きの日常風景である。
これが、まさに「まじめ腐った文体なのにゲラゲラ笑ってしまう」文章なのだ。淡々と日々の出来事を綴っているだけなのに、どうしてこんなに可笑しいのかと腹を抱えて笑ってしまうのだから、著者の筆力の高さに敬服する。
締切を差し置いても近所の夫婦喧嘩の覗き見に勤しんでしまう著者とそれを嗜める妻の様子。近所の長屋に住む吉さんが酔っ払って帰ってくる時の、分かる分かると心の中で首を縦に振ってしまう臨場感あふれる情景。病院でやってしまった大人のおねしょを若い看護婦達には死んでも言えないと、先に退院した知人のせいにして隠した話。大学教授の友人の間抜けな話を絶望的な様子でこぼす妻の顔。灘高校の落ちこぼれ学級で授業中によだれを垂らして寝ていた同級生の顔と、同窓会で接した戦死の悲哀。
中でもわたしが最高傑作だと思う話がいくつかある。その中の一つが、お弁当を間違えて食べてしまって口論になった話である。
著者は当時の人々の憧れである在来線特急列車「こだま」、今で言う新幹線のグリーン車のような高級列車の二等指定席に人生で初めて座った。出版社が氣を効かせて手配してくれた席だった。発車前に一度席を外して戻ると、そこにお弁当が置いてある。「こだま」は二等の乗客に弁当を配るのか。そう思って食べてみると、さすが「こだま」弁当だけあって中身は素晴らしかった。そしたらそれは、恰幅のいい重役風の男性が作らせた料亭の特性弁当だったのである。「こだま」は弁当など配ってはいなかった。その重役風の男性、エビや卵が好物で、わざわざ料亭の女将に作らせた物だと言い、「君はそのエビも食うてもうたんか。卵も食べてしもうたんやな」とエビと卵の恨みと悔しさを連ねて狐狸庵先生に何度もしつこく言い寄った。思わず著者が言い返してしまったが最後、引くに引けなくなった立派な大人同士のしょうもない喧嘩が高級列車で繰広げられたのだった。喧嘩の締めくくりに著者が言い放った一言も、いつも思い出すだけで笑いのツボを刺激してくれる。どんなに社会的地位が上がろうと、結局はエビと卵で本氣になってしまう。大人になっても人間というのは案外変わらないんだなというのが可笑しかった。
もう一つは、下品な話を文学的教養で詠じてくる若い娘の話だ。特にわたしはこの知的で下品な若い娘の話が秀逸で好きなのである。実在する人物らしいのだが、小説の中の人かと思える程に話ができている。何でも、狐狸庵先生がふとした縁で知り合ったこの娘さんは、文通の中で電車の痴漢を五言絶句の漢詩に詠んでよこして、それがちゃんと韻を踏んでいたと(漢詩では句末の字で韻を踏む決まりがある)。
さらに、著者狐狸庵先生の人前でのオナラについていかがされるとの質問に対して、場面別での対処方法を述べるなど、どうしてこうして、ふざけた話題を真面目に文通している様子が見て取れる。
もうお腹を抱えて笑わずにはいられなかった。くだらないのに手が込んでいて、知的で氣が利いていて、本当に心惹かれる。
ふんふん、と著者の話に付合って読んでいると、淡々とした真面目な語り口の中でおもむろにこういった話が差し挟まれるので、この世に笑袋という物があるのならば、それをおもむろに突然押されたように笑ってしまう。昔、オナラの音が出てしまうおもちゃの袋があったと思う。
その一方で、戦国時代の武将の妻のことや、著者が信仰していたキリスト教の日本における弾圧の歴史など、歴史に関することも散りばめられている。戦争を経験した著者の時代背景も微かに見え隠れする。
もう故人になってしまわれたが、遠藤周作さんに親近感が湧き、生前にお会いしたかったと思わせる。
本を読むことは、自分以外の時代に時間軸を広げ、その時代に生きた人々が見た景色や感情に想いを馳せる機会をくれる。それが自分という人間の感情と視界に映る世界の色を変える。だから、自分の物差しだけで測れる現代の物以外の書物に触れることは、人としての感性を広げるために大切なのだと思う。
そして本は、本の作者が亡くなっても、その人に会いに行くのを可能にする。まさに時空を超えて人と叡智に触れることのできる装置なのである。
『狐狸庵閑話』は、そんな本の力を改めて思い出させてくれた一冊だった。

<本の情報>
- 書名:『狐狸庵閑話』(こりあんかんわ)
- 著者:遠藤周作
- 出版社:講談社
- 価格:1,650円(記事作成時点)
<こんな人に読んでほしい>
- 遠藤周作を初めて読む人
- 笑えるエッセイを探している人
- さくらももこが好きな人
- 随筆で視野を広げたい人
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(電子書籍のみ。紙の本が復刻されるといいですね)
まとめ

本書は図書館まとめ借りで借りた本の中の一冊で、先日、延滞し過ぎて図書館から電話がかかって来ていました。わたし、速読もできるので。そんな見栄が本を何冊も借りさせた訳ですが、2週間という期限を大いにぶっちぎって、ようやく本書を読み終えました。全然速く読めていないじゃないですかと他人にツッコまれる前に、自分でツッコミを入れておきます。
いや、速読って小説とかは読みにくいんですよ。今回、ここに著者の随筆も加えます。
読書って意思力と体力を使いますよね。てへ。

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