はじめに
前回の記事はこちら。
こんにちは、うさこどす。
わたしは昔から日本の文化に興味がある。
本を読んだり、言葉の由来を調べたり、伝統文化に触れたり。知れば知るほど、昔の日本人は一體どんなことを知っていたのだろうと、不思議に思うことがある。
そんな好奇心から、今は古武術的なものも習っている。
習い始めて3年。最近、自分の體に少しずつ変化が現れてきた。すると、今まで何氣なく見ていた日本の文化や歴史も、違った角度から見えてくるようになったのだ。
今日は、そんなわたしの體を通して見た景色について話をしてみようと思う。
『體のこと』
今日は一つ、體の話を。
この記事では、からだのことを「體」と書く。元々はこの字が本来のからだを表す字で、わたし達が普段使っている漢字は、俗字として使われていたものだ。日本では、旧字体と呼ばれたりもする。戦前の文章だと、この旧字体が多く使われていたから、谷崎潤一郎の本を旧字体の文章なんかで読むと、画数の多い見慣れない漢字ばかりで、紙面の圧力からめまいがしそうになる。
「體」と書くと、体育も體育、人体も人體、文章の中の画数と黒の割合が異様に多くなる。けれども、わたし達のご先祖様達はこの文字を通して今とは異なる身体の捉え方をしていたのかもしれない。
わたしは古武術的なものを習っている。
これまた変な物に興味を持っているなと思われる方も多いかもしれないが、わたしは日本の文化に興味があって、心技体の各方面から一つの日本文化の世界を見たいと思っている。
その体(體)の領域に当たるのが、この古武術的な世界なのだ。その分野を「體」で知るために、足を踏み入れた。なぜなら、この古武術の世界にも日本の伝統文化が育んできた日本の叡智が詰まっているのをどこかで予感したからだ。
以前に書いた『古武術的生活のススメ』の記事でも触れた伊藤先生のお話を入口だけ聞いてもすごいと感じる。昔の日本人は、體の使い方を通じて今のわたし達が知らない知恵を得ていた。どうしてそんなことを知っているんだろうと不思議に思った。今よりも栄養に乏しく(と断定して書くけれども)、科学技術や学問が進んでいない時代に、身體能力や體への理解は現代のわたし達より高かった。體も比べ物にならないほど丈夫だった。単純にすごいと思う。
そして、今習っている古武術的なものの話を聞いてもそうだった。
骨に豊か。厳密には、「骨+禮の右側(豊、きちんと並べる)」で二つの意味を繋ぎ合わせた字だ(出典:『漢字源』学研)。
先生からは、この漢字にちなんで、骨と周りの組織を中心に鍛錬をするからだと説明された。実際に、わたしが習っているものだと主に深層筋を鍛えているから、外側にあまり筋肉が付かない。體の線は多少変わったけれども見た目の変化はそれくらいで、その反面、指先の動きがよくなったり、重い物が持ち運べるようになったりした。血管も全體的に太くなったような氣がする。骨密度は調べていないけれども、この分だと、もしかしたら骨自體も強くなっているかもしれない。
体も體も同じでしょ。画数が少ない方が字画が少ないし使い勝手がいいから便利でしょう。
それでも、視覚的に刷り込まれる情報は、わたし達の無意識の層に静かに影響を与える。わたし達は、知らないうちに目にした文字や形からも、何かしらの影響を受けているのではないだろうか。「体」と「體」、毎日何氣なく見ていても、そこから受取る印象は異なってくるのかもしれない。
さて、前置きが長くなりました。
この古武術的なもの、武術なのに、未だ武器のような物は持たせてもらえず、もっぱら緩慢なように見える動作を地味に繰返す日々を送っている。習い始めて3年になる。
最初は意味が分からなかった動作が、なぜかその精度だけは正確さを求められるようになってくる。すると、今まで付いていなかった所の筋肉が付いて、氣が付くと足運びが軽くなったり手先が細かく動くようになってくるのを実感する。たったこれだけの動きで、こんなに筋肉と体力が付くのって言うぐらいに費用対効果がいい。そんな中で、わたしが體感した體の変化をいくつか挙げてみる。
その一、土踏まずができてきた。扁平足族として名を馳せていたわたくし、段々と土踏まずが形成されてきた。
その二、走り方が変わった。走っていても體が揺れなくなり、カバンを背負っていても振り回されることがなくなった。
その三、股関節にモーターでも付いたのかと思うほど、ウィンウィンウィンと機械のように階段を登ったり歩いたりできるようになった。
そしてその四、これはつい最近の変化なのだが、立ち方が変わった。先日、久しぶりにお会いした講師さんから「うさこさん、立っている時の後ろ姿が変わりましたね。無理なく立てている感じがします」と褒めて頂いた。そんな所を見ているのかと内心少し唖然として、嬉しくなった。そこからまた意識が変わったようで、ある朝、踵から頭までが一直線になって立てていることに氣付いた。人間としての立ち方のコツを見つけられたみたいで、嬉しかった。
こういうことが分かってくると、着物を着ても窮屈さを感じずに動ける(動かせる)ようになるし、時代劇の歩き方の意味も見えてくるらしい。一番上の先生が言っていた話だと、江戸時代とかの建物の階段って急だけれども、それが実は登るのにちょうどいい體の動かし方と一致するのだとか。あとはお城にあるやたら歩幅の広い階段も、似たような意味があるらしい。
そう考えると、體から見えてくる日本の歴史ってあるのだなと思えてくる。視野が広くなり、目線が深くなる。
日本って、何て面白いんだろう。
わたしの意味不明な好奇心は、少し早い今年の秋と共に益々深まるばかりである。
まとめ

こういう話は、同じ所で習っている生徒同士じゃないと通じない話なので、友達にもあまり話はしないしこのブログでもそんなに触れてはきませんでした。自分でも、どういう風に文章にしたらいいのかなと思っていたところで、最近本当にあっ、これ真っ直ぐに立てているっていう體感と変化を感じて嬉しくなったので、記してみました。
わたしの話、伝わったかな。日本の伝統文化の凄さや面白さが少しでも伝わったかな。伝わっているといいんだけど。
日本って本当に面白いんだよ、ねえって言える人を増やしたいうさこです。

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