節約生活の効能

体験

 最近、日々の瞬間に「豊かさ」を感じるようになりました。

 今までは、何か社会の基準を満たせていないと幸せではないと思って生活していました。

  • 誰かがいいと言っている物を持っていること
  • 周りの人から素敵だと言われているお店に行くこと
  • 海外旅行に行くこと

 等々。

 これらをできないと、自分は素敵な人じゃない、豊かじゃないように思っていた。

 結局、何をしても「不足している自分」に焦点を当て続けていたんですね。

 でも、退職して自由気ままに人生の休み時間を過ごしている今、

 お金はないけど、

     「全ては与えられている」

  と感じるようになりました。

 今日は、そのお話です。

自分減点法の日々

 日々の生活を無意識に送っていると、自分はだめなんじゃないかと思う機会がたくさんあります。

例えば、

  ・高いお給料をもらっていない。

  ・昇進しない。評価されていない感じがする。

  ・顔が普通で冴えない。

  ・肌の調子が良くない。

  ・足が浮腫んでいる。

  ・仕事での失敗。

  ・食事を三食手作りできない。

  ・日々ぎりぎりの生活で、家の中が整理整頓できない。

などなど。

 それに加えて、うさこは

  ・人と違っていること

  ・周囲に馴染めず、浮いてしまうこと

 も自分への減点対象の一つでした。

 どんな時も自分の欠点を見つけて、減点してしまう。

 それが当たり前だったんですよね。

 だからいつも自分に自信がなかったし、うさこはここにいてはいけないような気がしていました。

 地球で生きているし、これからも生きていきたいけれど、でもここにはうさこの居場所がない

 ずっとそんな気持ちでした。

 だから過去の写真を見ると、中心で盛り上がっている人達からいつもちょっと外れてうさこが写っています。

うさこはいつでも、この場には相応しくないし、似つかわしくない。そんな風に感じていました。

節約生活の効能

 2021年4月。収入の目処が立たずだが、誰かとのシェアハウスなどの予定もつかず、無職2年目に突入することになりました。

 それでも、今までのようにどこかに雇われて収入を得ることはしたくなくて、無収入でも自分がしたいことをする生活を選んだのです。

 その代わり、前年とは打って変わって節約生活をしようと決めました。

  • できるだけお野菜は家庭菜園で育てた物を食べる。
  • 加工食品は買わない。調味料が無添加・本物の材料を使った物であることは譲れないけど、一升瓶とかでできるだけ安く買う。
  • 洋服屋その他の日用品は必要最低限しか買わない。
  • 破れた洋服は自分で繕って大切に着る。
  • お菓子は元々食べないけど、必要最低限しか買わない。

 そんなわたしを見て、タネさんが時々お昼ご飯をご馳走してくれたり、タネさんの畑で採れたピーマンやトマト、ナスをたくさん分けてくれたりしました。

 今まで一緒にいると苦痛を感じることが多かった実家にも、書道を習い始めたことやお友達と会う用事などで行き来することが増えたことをきっかけに、立ち寄ってお肉や卵、お魚、調味料などをもらうようにしました。

 うさこ父は事業が上手くいかず、今まで家庭にお金を入れずに借金まで作り、子どもの学費を含む家族の生活のことなんて全然考えられない人なのに、そのくせうさこのガソリン代だけは出してくれようとするんです。

 勤めていた時は、「そんなことをするよりも、借金返済して自立してくれ。」と思って受取ってこなかったんですが、近頃はいつも満タンに給油してもらい、父の好意を素直に受け取るようになりました。

 それが、うさこ父が子どもに対してできる精一杯のことだったんだよね。

両親から与えられた物って、嫌な想いや辛い記憶しかなかったけど、こんなに沢山の物を無償で与えてくれるのって、やっぱり両親だからなんだなと氣づいた。

 こうやって可能な限り出費を抑えた生活をする中で、両親やタネさんが与えてくれる物達を物凄く有難く感じました。

 夏の食費をほぼ賄ってくれた野菜達を収穫する度に、大地の恵みとは何て有難いんだろうとしみじみと感じるようになりました。

 地球は、自然は、わたし達が生きていけるだけの恵みを既に与えてくれていたんですね。

うさこは今まで、一つ一つ条件をつけて批判して、それらを受け取ってこなかっただけだったんです。

全ては与えられている

 今、ここに生きていて、こうして毎日を過ごせるというだけで、実は多くのことを与えられているんだということ。両親からも、関わりを持っている色んな人からも。地球からも、大地からも。

 本当にしみじみと感謝の氣持ちを感じる。ありがたいなって。

仕事の重圧や苛立ちにまみれていると、そんなの分かんなくなっちゃうんですよね。そもそも、そこに氣が回らないし。

でも、困窮してみて初めて分かることがあるんです。

勝海舟も貧乏は一度は経験した方がいいと言っていたらしいし。

うさこは働いていたら、こんな感謝を感じることや自分が全てを与えられていたなんていう感覚は分からなかったなあ。

他人から言われて頭で分かっていることと、自分の体感で分かることとの間には、実は天と地ほどの大きな開きがあるんだと思う。

体いっぱいで地球の恵みや生きていることの恵みを感じられること。

それは、わたしも生きていていいんだという実感に繋がります。

そうしたらね、自分にも優しくなれるし、他人にもそのこぼれた優しさを分けてあげられます。自分原点法なんて要らないんだよね。自己肯定感ってこう言うところから生まれるのかもしれない。

 わたし達は、ここにいるだけで豊かなんだよ

死にたくなるほど辛くなってしまった方には、どこかでそんな体験をしてみてほしいです。生きる道は、実はたくさんあるよ。人間社会の枠組みをちょっと抜け出せれば、厳しくも温かく色んな生き方を包んでくれる大地がそこにあること、そのことがきっと分かります。

そこまでできなくても、生きるのが少し苦しいなっていう時には、農業体験や自然の恵みを感じられる環境に出かけてみるのも一つかもしれません。

≪うさこ的節約生活の効能≫

  • 自分にとって必要な物が明確になる。
  • 何にならお金を払って、どう回収するか、お金の使い方の勉強になる。
  • 物を大切に扱えるようになる。
  • 自分の工夫と行動が増える。結構色々できる。
  • 色々な物を与えられていたことに氣づいて、感謝の氣持ちを学べる。

 みなさんの参考になったら嬉しいです。記事に関するコメントや、みなさんの体験談もお待ちしています。

では、また。

コメント

タイトルとURLをコピーしました