はじめに
つい数ヶ月前までのわたしは、子どもの頃から溜め込んだ両親への怒りで溢れていました。約二年間に及ぶ両親との『仁義なき戦い』で、わたしは自分の人生の新しい章に踏み出すために、両親との負の連鎖を断ち切ろうとしていました。
わたしがどんなに言葉を尽くしても、どんなにわたしができる範囲で限り話を聞いても、両親はわたしが忠告することや訴える話のを聞き入れてくれないまま、夫婦喧嘩と理不尽な接し方を継続しようとした。
その親子関係を変えたい。家族の荒んだ空氣を変えたい。わたしは自分が両親に対して怒りを持ち続ける人生を解消したかった。両親がこの期に及んでわたしの話を聞かないのであれば、力尽くででもわたしの意見を訴えるしかない。わたしがどれほど両親の態度に対して怒っているのか。両親の間でどんなに辛い思いをしてきたのか。
長い長い父と母との戦いを巡る家族との物語は、わたしという人間とこれまでの前半生を形作る『わたしを織りなす物語』でした。
『わたしを織りなす物語 まとめ』
1 『母』–否定と抑圧–
何を言っても、どんな話をしても、わたしの意見を否定してくる母。子どもの頃から、母は大好きな存在であると同時に、わたしの苦痛の元でした。
母から抑圧され過ぎて、思春期になる頃には紙に自分の悪口を書くぐらい、わたしは自分のことが嫌いで自分を否定していました。自尊心や自己肯定感なんて地に落ちていた。母が怖くて反抗もできなかったし、心理学的に言う母子密着状態で、感情的に母にすごく巻き込まれた人間に育っていました。母との関係は苦しくて、生きにくかった。
その母との経過を綴りました。

2 『父』–怒りと軽蔑–
明るくて面白くて大好きだったけれど、とても幼くて自分本位な父。子どもの頃は大人のことを信じきっていますから、父と話しているとなぜどんよりとした違和感が胸の内側に渦巻くのか分かりませんでした。
お金の問題、仕事の問題、妻と良好な関係が結べないこと(母の要因も大きいですが)、人間関係の稚拙さ、衛生観念の低さなのかこだわりなのか分からない問題、わがままで一方的で自分勝手なこと。それらに対して、いくらやめてと言っても聞いてくれないこと。父に対する軽蔑は本当に深くて、激しかったなと思います。

3 『仁義なき戦い』
全てにおいて否定的な母と、何においても自分本位で一方的な父。そんな両親に対してずっと外に出せなかった憤りと怒りが、もう本当に我慢の限界、ぶちんぶちんと糸が切れるように爆発してしまった。
「仁義なき」というのは、親だから嫌なことでも許容するとか、我慢をするとか、自分の本音を押込めるとか、わたしが反発したら親が悲しむとか、そういう親への配慮をやめるということ。
ふざけんな。
あたしはあんた達の人形じゃない。意思も感情もある一人の人間なんだよ。
仁義なき戦い、勃発。

4 『弟』–理解と愛情–
わたしは親の価値観の枠組みにはまることはできない。わたしの両親にそんなわたしへの理解を求めることは叶いそうにない。そう思って愛されないと自分を否定していたわたしを、父と母に代わって理解し、受止めてくれたのが弟でした。
きっと生まれる前に、この父と母との難題を力を合わせて乗越えようと弟と一緒に約束していたに違いないだろうなと思います。

5 『和解』–家族の負の連鎖を止めるために歩んだ二年間–
『仁義なき戦い』を一言で表すとしたら、「わたしが自分でも持て余す程の怒りを以て、身を賭して闘った二年間」だったと思う。
それは何のためなのかと言うのなら、わたしの家系に広がる負の連鎖を、わたし達姉弟の代で終わらせるためだった。
両親への怒りばかりが先に立ち、わたしは何のためにこれほどの怒りを抱えているのか分からなくなっていたけれど、整理してみると弟との「俺達の代でうちの負の連鎖を止めようね」という約束から始まっていたことを思い出したのです。
この人達は絶対に謝らないと思っていた両親が、わたしの訴えに対して謝ってくれた。不可能だと思っていた現実が目の前にあった。そしてそこに向かう荒波の中で、わたしに助け舟を出してくれたのは、弟だったのです。

6 『許しとは』戦いの終わり–自分の存在が受入れられた時に人は初めて許せる
仁義なき戦いの二年間を含めて、子どもの頃からずっと両親に対して抱いてきた激しい怒りと憤りは、両親からの謝罪でふつっとなくなりました。あれほどわたしの内側をいばらの棘のように傷つけていたのが嘘だったかのごとく、父と母の言動に対して何も感じなくなったのです。こんな不思議なことってあるんだなあと思いました。
全ては、「両親がわたしの氣持ちを分かってくれた」この一点に尽きます。
ただこのためだけに、わたしはあんなに怒っていて、あんなに両親のことが許せなかった。それが解消されたら、未熟で欠点の多い両親のことや、その二人の元で被った過去を受入れて許せるようになったんですよね。
自分の存在が受入れられた時に人は初めて許せる。わたしはそんなことを経験しました。

まとめ

『わたしを織りなす物語』の記事を読み返していると、この時の感情が今の自分の内側にないことに驚きさえ感じるんですよね。父と母と和解をしてから、本当に不思議なくらいに怒りが消えて、わたしはこんなことを考えていたんだなと、自分が同じ人間とは思えないような氣持ちです(笑)。
報われたなと思うし、わたしはやり遂げたんだなとも思うけれども、今はあまり達成感とかやったぞっていう感覚もなくて、暗い森の中から突然野の花達が咲く野原に出て、世界は平和だったんだってほけっとしているような氣持ちです。
人生で何かを成し遂げる時って、案外こういうものなんでしょうかね。

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