『波照間島へ』

体験

 波照間島は、八重山諸島に属する日本最南端の島だ。

 同じく八重山諸島に属する石垣島と沖縄本島の距離が直線で約430kmあり、東京大阪間の約400kmとほぼ同じ距離にあるから、沖縄本島と石垣島との距離もかなり離れている。波照間島はその石垣島から更に南西に向かう。

 わたしが現地で集めた情報では、石垣島離島ターミナル(石垣港)からの高速船は一日往復二便の内、いずれかの片道一便が欠航する。天候と波の状況に渡航を左右される島らしい。

 元々、日本の果ての地には興味がなかったが、菌ちゃんふぁーむで一緒にアルバイトをしたお姉さんと二人で沖縄本島を一周した時に、彼女が最果て好きだったことからその最北端まで旅行し、それ以来わたしも最果てを意識するようになった。そう言えば何年も前に付き合っていた人も、失恋した時に北海道の最北端に行ったと話していた。

 ちょうどわたしが石垣島に滞在していた頃は、9月の下旬だと言うのに台風の襲来もなく、多分珍しいと思うのだが一週間以上も晴れの予報が続いていた。

 わたしはその二日前に一人サバイバルキャンプの予定を急遽変更し、新石垣空港への到着客でごった返すタクシー乗り場で乗った運転手のおっちゃんに「お客さんがいなくなる。仕事にならない。」とぶうぶう文句を言われながら海岸にある自分のテントを撤収した。テントを片付けていると、おっちゃんにここ危ないよ、ハブが出るよとあちらの訛りで言われた。その後、空港に戻ってから手当たり次第に電話をかけてその晩泊まる宿を探した。今晩泊まる宿がなくて、と必死で告げるわたしを氣遣うように隣に座る男性がちらちらと目線を向けてくる。何だってこんなことをやっているんだろうって恥ずかしくなるが、そんなことに構っている場合ではない。サバイバルキャンプの前日に泊まった白保地区の民宿はどこもいっぱいで、夕飯時で多忙な時間だ。泊まれないと手短に言われる中で、親切な宿の女性が部屋数が多いと聞いたと、とあるホテルを教えてくれた。感謝を伝え、急いで空室を検索すると、一泊7,700円程だったと思うけれど素泊まりでホテルが取れた。ほとんどの人が滞在先のホテルに移動して人氣のない空港から路線バスに乗り、やっとの思いでホテルに着いた。洗濯機や調理台付きの部屋で、トイレとお風呂は分かれている。たった五日振りなのに、洗濯機で服が洗えることだけでもう異様に嬉しくて、清潔なベッドで施錠された部屋で眠れる安心感に心からほっとする自分がいた。現代の生活水準にしっかり馴染んでしまっていて、その恩恵の中にどっぷりと浸かっていた。一人でサバイバルキャンプを続けるなんて、わたしにはまだまだ手の届く話ではなかったんだ。自分の小ささを痛感した。

 翌日、また昨日のカフェに行った。経営するご夫婦に離島への行き方などを色々と聞こうと思った。離島に関する旅情報は、多分ゲストハウスに行くと旅行客同士から得ることができる。石垣島の離島ターミナル付近は島で一番の繁華街で、ゲストハウスは恐らく山のようにある。わたしに合うゲストハウスを絞りたい。そう言う時に活かすべきなのが、ご縁である。旅先でたまたま出会った人、会話を交わした人、顔見知りになった人、そう言う人が旅先のわたしに必要な情報とご縁を運んで来てくれるから。そうすると、旅が双六のように想定以上の展開をしてくれる。ご夫婦の話を聞いた上で、社員さん達も離島の情報に詳しいと聞いたゲストハウスに決める。ちょうど空室があるとのことで、何とかその晩も宿を得た。そしていくつかの離島について話を聞いた後に、行き先を決めたのが波照間島だった。

 その翌朝。まだ宿を取っていない。さて、波照間島で今日からの宿が取れるのか。ここまで来たら、運を天に任せてみるわ。端末の地図を開き、そこに載っている宿の写真を見ながらよさそうな宿に片っ端から電話をした。どのぐらいの観光客が波照間島に行くのかも知らない。島の事情も知らない。綺麗な海以外は何もなさそうだ。そんな予想に反して、電話を架ける度に宿は満室だった。わたしはそんなに前向きな性格ではないんだけれども、段々と楽しくなってくる。こんなに断られる中で、泊まれる宿に当たれるんだろうか。これで宿が見つかって波照間島に行けたら、結構すごいよね。そう思って間もなく、全日程で泊まれる宿が見つかった。やった。これで今日の船で波照間島に行ける。初めての船、初めての離島。

 これから旅が始まる。

 今回から文体を変えてみました。この文面で、文章作りに励んでみようと思います。では、またね。

石垣島のハイビスカス。

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