はじめに
前回の記事はこちら。
今日は、わかめ漁最終日の3日目の漁作業についての記事です。この日は、午後に雄鹿半島を周遊したり、石巻市街に戻ってまた色々と出会いがあったんですが、長いのでまた次回に続きます。
『体力勝負』
前日に寝たのは21時過ぎだと言うのに、わかめ漁最終日の朝は3時前に目が覚めた。真っ暗な部屋の中で、今何時なの、と思ったらすぐに目覚まし時計が鳴った。
5時10分前に作業場に到着するためには、石巻駅周辺から40分程を見ておいた方がいい。今日はチェックアウトの時間には戻れないから、宿を出たらそのまま帰ることになるので、荷造りや荷物の移動も必要になる。そうすると、朝3時には起きていないといけない。
わたしは前職に就職して以来、退職後もずっと不眠傾向にあるので、睡眠時間が6時間程度だと通常はかなり辛い。けれども、漁3日目の今日はそれなりに頭も起きている。筋肉痛も表面の部分は大分取れた。これなら何とか大丈夫かもしれない。
子どもの頃は、いや今でも、わたしは時間の目算が苦手だ。油断すると、大抵時間ぎりぎりになるか数分遅刻する。時間に余裕がなくなる潜在的な理由は、待合せの時間に10分、15分余裕を持っていくと、自分が待つことになってその待つ時間が損した氣持ちになるからだと思う。世の中の時間を守れる人達はみな自分が待つことを厭わないのだろうし、自分が待ちたくないからと言う理由はとても自分本位で幼稚な考えだと思うのだが、なかなかわたしは意識の底で大人になりきれないらしい。わたしの潜在意識の層では、待ち時間=無駄、もったいない時間と捉えているらしい。
それでも、今日はかなり時間に余裕を持って、「普通の人」らしく早めに身支度をして、荷物を片付けて旅行鞄にまとめ、忘れ物がないかどうか確認をして宿を出て車に乗込んだ。わたし、かなりできる人じゃないか。たったそれだけで、前向きな氣分になる。
漁の初日は到着時間がぎりぎりの出発になってしまったので、道路にはほとんど車がいなかったが、今日はそれよりも20分早く、漁港に着くまでの間車の列がずっと道路に伸びていた。「普通の人」は、この時間に漁港に向かうんだなあ。思い返すと、生まれて以来経験の少ない「世の中の流れに乗った」体験をした。
作業場には、10分前に着いた。高級雨合羽の胴長を履いて、上着を着る。今日はやや寒いので、毛糸の帽子を目深に被って、そこから雨合羽の帽子を重ねて被る。これなら、風を遮れるし、わかめを刈る時に海水を被っても中の帽子は汚れない。
空は少し雲が薄いので、今日こそ船の上から日の出が見られるかもしれない。海面は波ひとつなく、鏡面のように周囲の灯りを映している。「つるつるだねえ」と、先輩の作業員さんがその海面を見て言う。
船に乗り、沖に向かう。そして朝日が登る前の船上で、照明に照らされながらわかめ刈りが始まった。昨日、漁師さんから話を聞いていたので、わかめの棚がどんな風に海中に設置されているのか、それのどの部分を刈るのか、自分がしている作業の工程を見渡すことができた。初日は自分の作業内容を覚えるので精一杯だったので、視野が船の中にしかなかった。今日は、海の上にも視線を広げられる。人の視界は「あると思った物」しか見えない。「ない」と思えば、仮に目の前にそれがあっても視界に入らない。それを心理的盲点(スコトーマ)と言う。1日目と3日目の今日の違いが、まさにそれである。それを実体験で感じられるこういう瞬間が好きだ。
筋肉痛は、思っていたよりも回復していなかった。体の芯の方に、痛みではなく鉛のような鈍い重さとして居残っていた。だから、初日と同じ作業がいちいち重たく感じる。寝不足のせいかもしれない。はたまた、わかめ漁の作業がどれだけ重労働なのかを体が知ってしまったから、無意識の内に避けようとしているからかもしれない。とにかく体の動きが鈍い。
この日も、念の為船酔いを考慮して、朝食は満腹感を少し感じたところでやめた。そうしたら、1回目の刈取り作業中なのに、猛烈にお腹が空いてくる。この日は初日よりも海は凪いでいたが、めかぶを刈っていると突然波が来て船がぐらぐらと揺れたりした。それでも、平地にいるかのように船酔いは全くしなかった。こんなに平氣なら、朝に食べた焼き芋の残りを船に積めばよかったよ。空腹は苦手だ。食べ物のことばかり氣になって、集中できなくなるし苛々してくる。ただでさえ体が重いのに、空腹の我慢もしなきゃならないなんて過酷だ。
でも、誰のせいでもない。わたしも悪くない。そう心の中で唱えて、わかめを刈って、めかぶを刈り、空いた時間を見て船内に落ちたわかめの残骸を海に捨てる。釜を振るう右手、わかめを抱える左腕、めかぶを掴んで網に投げ入れる左手、わかめの残骸を捨てる時の立つしゃがむの動作を繰返す。動作は単純だけれども、ずっと繰返していると体に重りを一つずつぶら下げるように体力を削っていく。氣が付くと朝日はとうに上っており、わたしはひたすら空腹と体力勝負の作業に耐えて、意識は少し朦朧としていた。
もう、めかぶなんか、残り少ない腕力で後方にぶん投げる。そうしたら、体の向きが先輩作業員さんの方に向いていたらしく、投げていためかぶが全部その作業員さんに命中していたらしい。「うさこさん、全部当たっています」と言われて、苦笑した。すみませんですうと声を張り上げて謝り、めかぶが全然網の中に入っていなかったんですねと話していると、漁師さんが「船の中に入っていればいいよお」と船尾から味方してくれた。みんなで笑った。
今日も2回、港と往復した。2回目に帰港する船内で、わたしがめかぶを投げて当てていた先輩から「今日はちょっとぼうっとしていましたね。疲れましたか」とからかい口調で聞かれてしまい、体の疲れと言うのが悔しくて、「お腹が空いてしまったので」と言い張った。それも半分本当だもの。陸前高田の漁協から、わかめ漁の船に乗るのは男性の仕事と言われた理由を体感した。
陸に上がるといつものめかぶ削ぎで、漁師さんの奥さんはいつもながら作業が早かった。負けじと、見よう見まねでその速さについていくつもりで手先を動かす。それでも敵わないけれど。「あら、来てくれたのお」近所の方達がめかぶ削ぎに加わる。船に乗って約4時間、めかぶを削いで1時間弱、1日の作業が終了した。
今日のお弁当は、奥さん手作りのお稲荷さんだったから、わたしはその場でばくばくと平らげた。それから奥さんと、猫の話とか海のこととか、別に漁師になる訳じゃないけど海のことや地球のことを知りたいこととか、また奥さんから切上げられるまで色々とお喋りした。
実質二日間とは思えない程、漁師さんとも奥さんとも仲良くなって、帰り際には作業中一度も話さなかった若い男性の作業員さんまで挨拶に来てくれた。じんとする。
みなさん、口々にまた来てねと言ってくれたので、お世辞と思わず言質を取ったつもりで、また来たいと心から伝えた。
最初は陸前高田にと思っていたけれど、石巻に来てよかった。
まとめ

石巻編①『わかめ漁に憧れて』でも書いた通り、わたしは近頃第一次産業への見方が変わってきたんですよ。第一次産業って体力勝負ですが、詳しくは書けていませんけれど頭も使うんです。わたしみたいな短期雇用ならそこまでではないんですが、社員さんや実施者の方は、作業の効率性や自然への洞察力、いかに手際よく作業が進められるか、そのための段取りなど、実作業的に考えることがたくさんある。料理の段取りもそれに似ているところを感じます。今までに、菌ちゃんふぁーむ、果樹農家での摘蕾作業、わかめ漁と時間雇用で作業をしましたが、第一次産業ってお勉強の苦手な人が就く仕事じゃない。確かに、程度の差はありますけれど。それに、食べ物はわたし達の命と暮らしに直結しているから、とても重要な仕事ですよね。
石巻でもそうでしたが、やはり獲れる魚、獲れない魚が変わってきているそうです。自然環境と直に結び付くお仕事だから、なお自然環境への洞察力が求められます。
わたし達はどんなに都会に暮らそうとも自然と切り離されては生きていけないのだし、大きな自然の循環の中にいることを体感した時に、その存在と命が輝くのだと思います。

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